【アイデアメモ】宇宙人×カミングアウト×差別

●宇宙人が地球に訪問、移住をはじめて結構経った世界
●その宇宙人は姿を変える(自分の姿を、自分の好むような形で相手に認識させられる)ことが出来る。
●その能力を警戒した政府は、管理のために、一度の地球滞在中における変身を禁じ、外見・虹彩・声紋・指紋などの登録を義務化。
●また、宇宙人に登録証の携帯を義務付けた。
●破った場合、強制送還。
●人間に好まれる容姿に変身する傾向の宇宙人と、それに対する嫉妬で強まる排斥感情と差別。
●「美男美女は宇宙人」「芸能界は宇宙人ばっか」という偏見が広まる。差別の気運が強まる。
●なんとなく排外的な思想の青年が主人公
●付き合いたての彼女が宇宙人だと知る。
●悩む青年。別れるかどうか。なぜ別れたいと思ってしまうのか。
●結論でないまま「宇宙人だから嫌なんじゃない」「黙っていたのが嫌だった」という理由で振ろうとする。
●「姿を自由に変えられる=じゃあ自分は何を好きになったのかわからない」
●男「作りものじゃない本当のお前ってどれなの?」
●女「じゃあ地球人には本当の自分ってあるの?」
という、「変身出来る宇宙人」を題材に、移民と差別の問題を描きつつ、「外見と内面」「本当の自分」「人は人のどこを愛するのか」を語る日常会話のSF。
ってアレ、今考えてる『異性人』よりこっちの方が面白くね?少なくともまとまってて短編向き。

【劇評】イキウメ『太陽』

2011/11/26 イキウメ『太陽』観劇
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【上演データ】
《東京公演》
日時:2011/11/12(土)~27(日)
会場:青山円形劇場
《大阪公演》
日時:2011/12/2(金)~4(日)
会場:ABCホール
作・演出:前川知大
出演:浜田信也/盛隆二/岩本幸子/伊勢佳世/森下創/大窪人衛/加茂杏子/安井順平/有川マコト
【あらすじ】
四十年程前、
世界的なバイオテロにより拡散したウイルスで人口は激減し、政治経済は混乱、
社会基盤が破壊された。
数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が注目される。
彼らは人間をはるかに上回る身体に変異していた。
頭脳明晰で、若く健康な肉体を長く維持できる反面、紫外線に弱く太陽光の下では
活動できない欠点があったが、変異は進化の過渡期であると主張し自らを
「ノクス」(ホモ・ノクセンシス = 夜に生きる人)と名乗るようになる。
ノクスになる方法も解明され、徐々に数を増やす彼らは弾圧されるが、変異の適性は
三十歳前後で失われる為、若者の夜への移行は歯止めが効かなくなった。
次第に政治経済の中心はノクスに移り、遂には人口も逆転してしまう。
ノクスの登場から四十年、
普通の人間は三割程になり、ノクス社会に依存しながら共存している。
かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治区が点在し、緩やかな連合体を築いていた。
都市に住むノクスに対し、人間は四国を割り当てられ多くが移住していたが、
未だ故郷を離れず小さな集落で生活するものもいた。
ということで、おそまきながら前作『散歩する侵略者』で見始め、早速大ファンになった劇団、イキウメの新作公演。
圧倒的だった。
近未来、夜に生きる新しく強い人間「ノクス」と、昼に生きる古い人間「キュリオ(骨董品)」の間での差別・理解・被害者意識などの「共存」の問題を通して、人間の弱さやプライドや家族愛(というより血か?)を描く、静かで骨太で優しいSF作品。
『I am Legend(邦題:地球最後の男)』という定番、クラシックのSFが原案にはあるけれど、「人間が昼の種族と夜の種族に分かれた世界」というのは一般的ではない設定だろう。少なくとも身近ではない。
しかし、この作品は、世界中のどこの国でも、どこの民族でも、どこの集団でも通じる普遍性を持った、「理解」と「愛」の話だった。
それは、この設定が現在の世界のいたるとことに見られる人種・民族・貧富・格差・差別の問題を象徴していたからだろう。うん、一般的な設定じゃなくても象徴していれば普遍性は得られるのだな、というボンヤリ知っていたことの顕著な例。

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【映画評】『X-メン:ファースト・ジェネレーション』

●映画評:『X-メン:ファースト・ジェネレーション』
文字数:1873字
 超人気アメコミシリーズ、「X-メン」。おそらくほとんどの人が名前ぐらいなら知っている漫画だろう。筆者もそれに毛が生えた程度の知識で、前作などの映画版を観ていない状態で本作を観た。
 「X-メン」といえば、劇画調で、爪を出す虎柄の男や、目からビームを出す男や、肌が青い女などの超能力者が、敵味方に分かれて戦っている、簡単に言うとそんなコミックである。
 本作はそのシリーズの前日譚であるが、大体そのぐらいだけわかっていれば問題なく楽しめる作品だ。さらに、主人公側のボスがプロフェッサーX、敵側のボスがマグニートーとわかっていれば言うことない。
 若き日には共に手をとり戦ったプロフェッサーXことチャールズと、そのライバルのマグニートーことエリック。『ファースト・ジェネレーション』とは、この二人がなぜ決別し、いかにして敵対するようになったかを描く、スターウォーズで言うとエピソード1~3にあたる作品である。
 
 映画としては、チャールズとエリックの対照的な少年時代から始まる。第二次世界大戦末期、平和で裕福な家庭に生まれ育ち、能力を隠して大きくなったチャールズと、ナチスによりユダヤ人として収容所に入れられ、母親の死によって能力を開花させられたエリック。
 そして時は流れては1960年代。エリックの能力を目覚めさせた元ナチスの科学者であり本人もミュータントであったショウが暗躍し、米ソの対立を煽っていく。それに対抗するために、反発しつつも理解を深め、他の仲間を集めて共に戦っていくチャールズとエリック。この二人の微笑ましく・羨ましく・大変萌える「バディ(相棒)もの」としてストーリーは進行し、キューバ危機の瞬間を舞台に、物語はクライマックスの決断の時を迎える。
 
 『X-メン』の特徴として挙げられるのは、そのテーマ性だろう。本作だけを見ても、シリーズが人種差別問題をテーマにした、社会的な視点を持つ作品であることは容易に見て取れる。つまりミュータントとはかつてのユダヤ人であり、黒人であり、9.11以降のイスラム教徒であり、その他様々な被差別の者達のメタファーなのである。そのことは、ホロコーストがその後の人格に大きく影を落とすエリックだけでなく、チャールズの妹分で青い体のミュータント・ミスティークが肌の色で悩む、といったところでも明らかだ。 
 そう考えると、人間との共生を目指すチャールズはキング牧師、人間と闘争してミュータントの世界を目指すエリックはマルコムXに重ね合わせられる。
 
 であるからこそ、本作の見所は、テーマ的にも、「X-メン」シリーズの謎として見ても、その二人の決別する瞬間にある。
 母親の仇であり最大の標的だったショウと対峙し、復讐の感情に流されるエリック。そして戦っているミュータント全員に向けられた人間達の敵意をスイッチに、エリックとチャールズの信念の違いが決定的になってしまう。その瞬間におこった事故と、それによる二人の決別が、キツすぎるくらいに苦しい。正直、最近見たどんな恋愛映画の別れのシーンより胸に迫る。例えるなら、どちらも自分と親しい友人カップルがどうにもならない喧嘩別れをする様を見るようなキツさだ。
 「決別して、悪に堕ちる」ものの代表例としては、『スターウォーズ』シリーズのダースベイダーことアナキンが挙げられる。しかし、アナキンとオビ=ワンの決別よりも両者の距離が近いのに、より深い断絶が感じられたのは、前述の冒頭のシーンで描かれた二人のミュータントとしての目覚めた方、刷り込まれてしまった原風景の違い故だろう。そしてここから物語をはじめた本作の構成の賜物だろう。
 もはや差別する側・される側の間だけでなく、志を共にした被差別者の間でも起こりうる断絶。それはともすると人類皆の間に横たわっているとすら感じられ、この悲劇をより普遍的で切実なものにしていた。違う経験をしている以上、人と人は最終的には分かり合えないのだろうか。出会いや友情は、出自を乗り越えられないのだろうか。待ってくれ、違うって言ってくれ。別れ際のチャールズとエリックの表情を見て、そんな叫びが喉元まで出かかった。 
 
 ただ一点補足するが、本作は重苦しく陰鬱に終わる映画ではない。そんな決別の直後、エリックが有名な赤い兜を被り身も心もマグニートーになった瞬間こそ最高に盛り上がるポイントであり、筆者も心が痛いのと同時に、最高にアガってしまっていた。そんなバランス感覚の、「痛み」すらあくまで「娯楽」として描いた、優れたエンターテイメント作品であった。
■あとがき■
直した上で今思うのは、「絶賛しすぎ」感。あくまでそのWSでは「誰かに紹介する」という目的でのライティングなので、そんなにこき下ろす感じでもないんですが、にしてもホメすぎかなぁ…。あと、デカイこと言いすぎ感。もっと簡潔に、平易に、粋に、本質を捉えねば。あと長すぎな。
でもホントにラストシーンがキツくて且つアガって良い映画でした。

コタツ

夏は猛暑、冬は極寒のアガリスクハウス(劇団員ルームシェアの一軒家)。
中にいると、そのあまりの寒さゆえ極寒の帰路を辿ってまで自分の家に帰ろうとするほどのアガリスクハウスですが、この夏にコタツを某所(アウトドア)で入手し、ついにはコタツ布団まで手に入れたことで文化的・健康的な室温を得ることが出来ました。
昨日は新メンバー鹿島を加えての新しいメンバー写真(集合写真マイナス顔出ししてないピエール)を撮りに外をうろついておりまして、ふざけてカッコつけて「キャー!ロックバンドみたーい!」(←偏見)とそれっぽい写真を撮っていたら、思いのほか調子にのり、本当に格好つけてこだわりはじめ、その間に夜は更けて、身体は新まで冷え切っていました。
【完全に調子のり写真】
    ↓
ロックバンド煉瓦.JPG
その後、撮影のなかったメンバーと会議があったのですが、あまりの寒さに耐えかねて、途中寄り道してコタツ布団と鍋の材料を買い、暖をとりましたとさ。
写真.JPG

新メンバー 鹿島ゆきこ加入

あと、新宿コントレックスVol.2当日での発表!
アガリスクエンターテイメントに新メンバー 鹿島ゆきこ が入りました。
詳細はこちら
まだプロフィールとかちゃんと出来てないんだけど、この人です。
昨年の『みんなのへや/無縁バター』の本番後、声かけてきてくれて、しかも「次出たいです」じゃなくて「劇団員になりたいです」だったのでかなり狼狽した記憶があります。しかも関西から出てきたばかりでたまたま観た舞台で、っていう。
結局そこはフンワリしたままなんやかんやあって、『ファミリーコンフューザー』に出てもらって、「卓越したなんとか」とか「特異な存在感」とかじゃないんだけど、コメディに対するスタンス・嗅覚・恥の概念がすごく共感というか共有できそうな印象を持ちました。
で、あらためてメンバーになりたいとの申し出を頂き、お互いコントレックスを一緒に(鹿島さん司会)やってみて、本番中に袖で意思を確認してカーテンコールで発表、という形になりました。
合同イベントの最後の告知時間だったんで、劇団内部のこととか言ったら変な空気になるんじゃないか、「知らねーよ」みたいな感じになるんじゃないかとも思ったんですが、そこは現金に、ウチの演目がウケたので発表しました。淺越の発表の仕方が若干グダグダで、新メンバー加入!に聞こえたかどうか不安だったのですが、まぁ、そんなカタチです。
次回コントレックスでどうなるかはまだわからないんですが、基本的にメンバーで役者の淺越・塩原・鹿島で色々な作品をやっていくと思います。
鹿島本人も、「フリーのまま客演に参加したり、オーディション受けまくるとかじゃなく、バンドで活動したい(大意)」といっているので、本公演も、ACも、FLASHなども今後継続的に参加していくと思います。
俺は、基本的にメンバーはどの活動も揃っているのが正しいと思うし、逆に言うとメンバー(で役者)とは「そいつ合わせで企画を決めるぜ」って思える人です。
前のエントリで書いた二人芝居『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』がお気に入りの短編になったので、今度は三人用の必殺短編を作ろうかしら。四人用はテトリミノがあるし。で、四人目が入って新生テトリミノ=ファクトリー面子が揃ったらテトリミノも書き直して、それらでメンバーのみのAC単独公演でもやりたいなぁ。
おっと、話がそれました。
新しく入った鹿島ゆきこをどうぞよろしくお願いします。
また、アガリスクは冨坂淺越塩原ピエール鹿島と、アシスタントのメンバーでやっていきます。今後ともどうぞよろしくお願いします。

AC5 エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)終わりました

真面目に書くよ!長いよ!
新宿コントレックスVol.2無事終わりました。
ご来場頂いた皆様、遠くから(Ustとか?)で応援してくれた皆様、誠にありがとうございました。
今回は初めてプロデューサーではなくイチ参加団体の作・演として参加した。ま、実際舞監やってたので、当日の忙しさとか立ち位置はそんなに普段と違わなかったかもしれないけれど、イベントを終えての感覚が全然違う。
今回は、

『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』がウケて良かった。

この一言に尽きる。
見ていなかった人向けに簡単に説明すると、海外ファルス風シチュエーションコメディ(レイ=クーニーとかそういうやつ)を、無理やり二人で上演する、というネタだ。
登場人物が5人必要なネタを、二人が「ヘンリー」「ジョージ」などの役名の書かれた帽子を被ることでローテーションしながら演じ分けていく。
で、途中、演じ分けたり二人で再現するのが無理なときに、素の顔がハミ出したりする、っていう、つまりは「『シチュエーションコメディを二人で上演しなければならなくなった奴ら』というシチュエーションコメディ」である。
アガリスクエンターテイメントの団体紹介に、
シチュエーションコメディへの愛憎を原動力に、その解体や再構築などの研究を行う。
とある。
この、シチュエーションコメディというジャンルを相対化して外から見たり、「無理してやる」っていう部分は、まさにアガリスクエンターテイメントのこのジャンルへのスタンスを象徴しているネタだったと思う。
自分達は、いわゆる嘘ついて誤魔化して勘違いして~のファルス型シチュエーションコメディをやりたくて演劇を始めたのだけど、何年かやってきて、他の新鮮な演劇表現や他の笑いの表現を見るにつけ、もはや素直にこのジャンルに上演することが出来なくなっている。
ベタすぎる、そのわりにシンプルじゃない、上演までの物理的ハードルが多いetc…といった欠点も沢山目に付いてしまう。
だけど、やはりこのジャンルをやってしまう。特に俺は、このファルス型シチュエーションコメディとの距離感、比較で全ての物事を捉えてしまう節がある。演劇見ても、会場見ても、ニュース見ても。
だから、誰よりも疑った目で、シチュエーションコメディの嘘を暴いて、余計な部分を剥ぎ取って、逆に普通やっちゃいけない事をして、いじくり回してこういう作品をやっている。
今回は、セットを省いてパイプ椅子だけを出し、二人で慌ただしく役を取り替えるところで笑わせ、と思いきや役(世界観も)をはみ出て発言するところで笑わせ、と言いつつ中身に書かれた勘違いネタでも笑わせる。
そんな普通じゃない事をしつつも、引いて見ると「~~っていう状況におちいった奴らの奮闘」という、シチュエーションコメディの本質的なものになるといいな、と。
…で。
団体紹介の続きに
しかし結局、誰もが普遍的に笑える「喜劇」を作ろうとする傾向がある。
と銘打っている以上、ウケないといかんわけです。変なことやって「研究だ」と言い張っても、ウケないとそれは「シチューションコメディを批評する演劇」になってしまうので。おれは「シチュエーションコメディを批評するシチュエーションコメディ」がやりたかったので、そこが結局一番のハードルだった。自分たちがやってるコントイベントに出すものだしね。
作り方は、中身の架空のシチュエーションコメディを冨坂が書いて稽古場に持っていき、稽古場で「歌割り」ならぬ「役割り」しながら書きなおして…っていうものだったので、すごく時間がかかった。またしてもギリギリまで台本が代わり続けたし、役者二人はさぞ大変だったと思う(二人で16ページとかの台本を数日でだから、そりゃそうだよなぁ…自分の役だけ追って覚えるとかも出来ないし)。
コントレックス当日のゲネでは冒頭の普通間違えないようなところで台詞飛びまくるし、全体的に何をやるネタなのかわからない仕上がりで、実はものすごい焦ったのだった。
そもそもがお客さんにいろんな情報を覚えてもらわないと成立しないコメディを、一人数役演じるわけで、冒頭からこのネタの大枠、ルールがわからないと本当にわからないし笑えないのだ。
でも本番は、前にやったコーヒーカップオーケストラさんが宣言どおり「いい仕事」してくれたので客席も暖まり、フランクに喋ってから始めたらありがたいことにすげーウケました。
これで、見てくれた方からは今までのような前座団体のイメージは払拭できたのじゃないかと思う。
その後いろいろな感想に目を通すかぎり評判も良く、これはアガリスクの代表短編が一つ出来たな、と少し自信になった。が、おれは当日舞台袖に入ることになってしまい、これのちゃんと出来てるところを目では見ていないんで、また見たい。
※追記
我々よりも演技上手い人は星の数ほどいるし、人を笑わせる地力がある人も数え切れないほどいるし、屁理屈こねたら面白い人も山ほどいる。けど、多分このネタを作れるのはアガリスクだけだし、今のところ淺越塩原しか出来ないはずだぜ、発送と歩んだ道的に。へへへ。

AC 5 二人でシチュエーションコメディ

今作っている演劇作品の話。
今は、アガリスクエンターテイメントが隔月くらいで開催している劇団合同コントライブ「新宿コントレックス」に出品するアガリスクの出し物を作っている。「AC~アガリスクコント~5」。
その中身は「二人でシチュエーションコメディをやる」というもの。
シチュエーションコメディって「一つの場所を舞台にした、登場人物の真面目な言動が、状況によっておかしく見える喜劇」とかいわれているのだけど、このジャンル、色々と制約が多いのだ。一般的には、一つの場所をあらわすために具象のセットをリアルに作りこむし、登場人物は一人一役で、その人物っぽい衣装を着て演じる。
ただアガリスクは、実際問題具象のセット建てるのキツいし、どこでも出来る表現じゃない、っていうのがマイナスだと思っているので『みんなのへや』っていう作品をギャラリーでやった(詳しくはその作品の「自作自演対談」を読んでください)。
これは「セットがなくてもシチュエーションコメディができるじゃん!」とか「そのぶん逆にスピーディ」とか褒められたりもして、その後のアガリスク作品は2公演とも簡素なセットでやっているのだけど、実は自分は、『みんなのへや』程度の省略はまだヌルい、と思っていまして。
セットを「建て」てはいないけど地面に線引いて「台所」とか「トイレ」とか書いてるし、そもそもセットがなくてもあの公演ってメンバー沢山集めて衣装も小道具も揃えなきゃ出来ないじゃないか、と。それって結局ポータブルにはなってないのでないか、と。
ということで、もう床に線引いたりもしないで、衣装も無しで、役者二人だけで、5,6人が出てきて嘘ついて勘違いしてゴチャゴチャするシチュエーションコメディ(ファルス型シチュエーションコメディ)をやります。20分くらいで。
自分は、このコメディは別にセットも必要ではないと思うし、衣装も必要ではないと思うし、役者もそんなに沢山いらない、と考えています。「ルール」と「人」がいりゃ出来るはず。
なので、ここは一つ、アガリスク旗揚げ以来…ということは演劇はじめて以来ずっと取り組んできた「シチュエーションコメディ」という表現をとことんまで裸にして、大事なモノを、本当に必要な要素を晒してやろうと思います。
っていうか、シチュエーションコメディが「登場人物の真面目な言動が、状況によっておかしく見える喜劇」というのなら、「ただでさえややこしい複数人用の喜劇を、二人でやらなきゃいけないヤツら」は、それ自体がシチュエーションコメディなんじゃないだろうか。
ということでお知らせです。
アガリスクエンターテイメント AC~アガリスクコント~5 『二人シチュエーションコメディ(仮)』を出品する公演
新宿コントレックスVol.2
[日時]2011/11/16(水) 19:00開場 19:30開演
[会場]新宿シアター・ミラクル
[料金]予約1,000円 当日1,500円
[出場]アガリスクエンターテイメント
   コーヒーカップオーケストラ
   ハーリ・クィン
   ヨコスカトイポップ
   (50音順)
[予約]ご予約は こちら から!

四ツ谷で研修

アルバイトの話。新しい勤務地で研修中。同じ電話関係の仕事だけど今度はハウスサポート。そして今度は夜勤。昼夜逆転ってどうなるものやら。
場所が四ツ谷の二丁目と三丁目の間くらいのところで、総武線/中央線の直通一本で行けるのがとても楽。
斉藤コータ氏のアルバイト先が確かこのあたりだっけな?と思ったらまさにその店を発見。本人いなかったっぽいけど。
さて、その研修を受けて確信した。自分は講義が好きなんだ、と。
自分の知らない話を人が説明してくれるのが楽しい。もちろん下手だったりするとファッキンとか思うんだけど。
「知識を得る」って言う意味では読書もそうなんだけど、それと違ってプラス「人が人(特に大勢)に説明する姿」が結構好きなのかもしれない。ある種パフォーマンスとして。
そして自分のワークショップオーディション(開くとき)の立ち居振る舞いとかを考える。自戒。
今日習った鍵の開錠テクのくだりとか、研修ビデオなんで映像だったけどすごかったもんなぁ。車の開錠はなんとなく知ってたけど、家はこうなっていたのか…!と。なんでもアッサリ開けちゃうんだぜあのプロ達は。すごかったなぁ。一つ開ける度のドヤ顔もすごかったなぁ。