【アイデアメモ】お父さんをください

●長年連れ添った妻を亡くし、娘と二人で暮らしていたが、自分がゲイだったと気づいた壮年の男
●その男と結婚したい若い男
●父親がゲイで仮面夫婦だったと今更気づいた娘
の3人芝居。
をやり、人情芝居になったところで配役チェンジなどの手段をとる。

【アイデアメモ】FLASHアニメ作家兼声優のコンビ

お笑いコンビでもなく、声優でもなく、FLASHアニメでこんとやってる奴らにしか無いポエジーっつーか情緒があるはずだ、という発見。コントくらいの尺でなにか。
自分らも一時期作りまくってたし。あれだけを二人くらいで作り続けてたら、思い入れも、どん詰まり度も、すごいことになるのではないかと。
●お笑い芸人みたいに姿現さず、でも声優みたいに大勢でやらずにインディペンデントである点。
●でも意外と見られてる、ネタだけは知られてたりする点。
●声だけじゃ満足できなくなって人前に出て大失敗したり
●ネタや演技が理屈になっていて客前じゃ通用しなかったり
●人前に出る/出ないで揉めたり
●狭い部屋で、小さなマイクに向かってるんだけど、世界に発信してるかのようなロマン
●狭い部屋で、小さなマイクに向かってネタをやるときの、でも「あそこには全てがあった」感
●成長の話
●別れの話

コントレックスVol.4でやるACネタ

みんなー!宣伝だよー!
はい、今日も今日とてAC(アガリスクコントだよ、アガリスクがメンバーだけでコントやるときのシリーズの名前だよ、いつかカタカナで説明しなくて済む日を待ち望んでいるよ)の稽古をしてきた。
新作のコントと、2回目の『2+1』だ。
『異性人静かに』のラストでやったAC単独公演のときに鹿島加入後3人体制初のコントとしてやり、ラッキーパンチなりに結構ハードヒットだったので今回こそちゃんと固めてやろうというのが『2+1』です。
雑芝居×役名書いちゃう×役入れ替わりによるクレイジー連想ゲーム。
それにプラスして、ぎおんしょうじゃ っていう妖しげなコントをやります。ラジオではちょっと喋ったけど正式な表記はまだ伏せる方向で(まぁ今日の稽古で一気に方向性が変わり、漢字表記がバレても大した事無いって状況にもなったのだけど)。
これは最初のタイトルを…淺越が言い出したのかな?で、ぼんやりと肉付けして持ち帰り、台本に起こしてみようとしたら、ぶっちゃけ、なんとも膨らまないこと…!
今日は稽古に行く直前まで色々悩み、「このネタ辞めね…?」と喉元まで出かかった状態で稽古に行きました。
で、即興で演技してもらいつつネタ出しを試みたけれど、やはり膨らまず。
タイトル残してコンセプトをガッツリ変えてみようという話になり、構成とか編成を変えて、会議兼エチュード兼立ち稽古(ACではそれらを全部一緒に混ぜた「とりあえずやってみる」というごっこ遊びで稽古は進行します)をしてみたら、どんどん素敵で脳みそトロけてて恥ずかしいアイディアが出てきて大丈夫そうな感じになりました。
はい、つまるところ、面白いと思います。『エクストリームシチュエーションコメディ』とか『2+1』を気に入ってくれた方は好きだと思います。あれらよりよっぽど頭の悪い、何の含蓄も実験的意義も無いネタですが。実験作ってよりヤケクソ、開き直りというか。
とりあえず、鹿島が主役です。
要するに、来てね!と。しかも4/2(月)のほうに来てね!というわけです。
よろしくお願いしますー。
新宿コントレックスVol.4
4/2(月),4/12(木) 19:00開場/19:30開演
新宿シアター・ミラクル
予約券1,000円/当日券1,500円
ご予約は こちら
詳細は こちら
当日券はまさかの500円差なのと、「4/12でいいや」と思ってるとマジで12日は完売する可能性あるので、来られる方は本気で4/2をオススメします。
では、劇場でお待ちしてます!

次回公演『ナイゲン』あれこれ

アガリスクエンターテイメント次回公演『ナイゲン2012』の合言葉は「今さら」であり「まだだ、まだ終わらんよ」だな。
それは、俺たちが高校生芝居をやるという意味でも、あの高校が自主自律をするという意味でも、話し合いに希望を見出すという意味でも。

『異性人/静かに殺したい』終了致しました(出演者編)

Aga-risk Entertainment第16回公演『異性人/静かに殺したい』終了致しました。
ご来場頂いたお客様・USTREAMでご視聴頂いた方・気にして頂いた方・関係者の皆様、誠にありがとうございました。
さて、何から書いていこうか、大変に迷っている。全体の構成を決めてからスッキリ美しい文章を書いたら気持ちはいいのだけど、誰も俺のブログにそんなの期待してないだろうし、あと、今回はそれは違うと思ったので、思いつくままタイピングしている。
今回の公演は(「お客さんのため」「作品のため」とかは前提なので省くとして)、自分の公演ではなくて役者の公演だったように思う。良くも悪くも。
ということで、出演者について、今さらだけどもう一度書こうと思う。
■淺越岳人(Aga-risk Entertainment)■
『静かに殺したい』近藤役
『異性人』宇宙人A役
ぶっちゃけ『静かに~』ではすぐ死ぬし特筆することはないので、『異性人』のA役について。今までの淺越はこう、気負うというか、プランだけ頭で組み立てて、それに近づけようとするほど力んでダメ、ってことが多かったけど、今回はフラッと何も考えずに舞台に立っていたような気がする。
塩原さんとの冒頭の二人のシーンが魅力無いと終わりの作品だったので、そしてそれは大空襲イヴのリベンジだったりもするので、そこは胸をなでおろしている。あとは「ボケる雰囲気」というか「面白い人」感が少しは見えたのかな、と。
ただ、これはもう役が完全に淺越合わせな訳で、今後どうすんだ、ってのはある。
■鹿島ゆきこ(Aga-risk Entertainment)■
『異性人』ミキ役
メンバーになって初めての公演。メンバーになった途端こき使われていたというか、率先してアレコレ動いてくれてたのでそこらへんの感謝もありつつ、だけど役者としての話をしときますか。
わりと頭で考える側で、しかも「役について」とか考える一般的な役者っぽい感じなので、異性人では苦労をしたと思う。声が落ち着いていて通るので、ともすると「お芝居っぽく」なってしまうので、そこは何度も「ダラしなくやって」「間抜けな声を出して」と言った。あとは関西弁からのイントネーション問題などが大変だったみたい。
実は「あんまり色が無いなー」と思っていた節もあるのだけど、稽古によって色んな事が出来る人だと判明したので、アガリスクがお話をやるときは要になるのかな、と期待している。シャキっとした、バキッとした演出で映えると思うので、どっかでそのスキル盗んできてよ(笑)
今回のミキは鹿島さんが可愛らしく映るのが目標だったので、達成できたようで、かつ終演後に色んな同世代の演出家からお声が掛かったみたいなので嬉しい。
■塩原俊之(Aga-risk Entertainment)■
『静かに殺したい』永山役
『異性人』アキラ役
MUで修行して強くなって帰ってきた感あり。
色んなことを「あくまでネタとして」やる、という部分で前から信頼はしていたんだけど、荒かった目盛りが細かくなった印象。特にお話をやるときに。
永山に関しては人格としてどうなんだ、っていう雑な役だったんだけど、彼のキバヤシっぷりでどうにか持っていきました。
アキラに関しては、「笑わせたいの?深刻にさせたいの?なんなの?」っていうシーンが沢山あり、途中全然わからなくなっていたようだけど、両立に成功したように思う。望月さん演じるマナベと喧嘩別れするシーンと、淺越演じるAと照れ隠しの会話をするシーンなどは、昔のアガリスクだったら絶対に出来なかったシーンだと思う。
あとはやっぱりキレてたり叫んでたりする荒ぶるシーンが似合う。最近、「塩原俊之は、隠したり誤魔化したり困るのよりこっちの方が似合う」と確信した。
■江本和広(ヨコスカトイポップ)■
『静かに殺したい』警官役
座組の良心(笑)ともいうべき存在。その節は大変ご迷惑おかけしました。
公演期間中、役者が慌てたり浮き足立ったときにも落ち着きをくれて、カッチリと取るべきところを押さえてくれた。出番的にも暴れっぷり的にも、お客さん的にはあまり目立たなかったかもしれないけれど、勘違いのくだりは百発百中だったので、そういう手堅い仕事は本当に安心するのだ。
惜しむらくは江本さんの本領であるアクションの要素を余り盛り込めなかったこと。いつか、落ち着いた突っ込みではない、「動」の江本さんを見たいっす。
■如月せいいちろー(ウラダイコク)■
『異性人』宇宙人C役
同じく、座組の良心(笑)。っていうか良心て特筆しなきゃいけないって、どんだけ治安悪い稽古場だったんだ…。
ペアで行動する甲田守の圧倒的な不穏さに合わせてもらっているうちに、いつの間にか同じくらい不穏な宇宙人になっていた。誰が誰と手を繋ぐかを話し合う通称「会議」のシーンで、表情の読めなさと、優しそうな声色、老成したような雰囲気で、えげつない条件を持ちかける様が大変気持ち悪くて(褒め言葉!)素敵だであった。
あと、宇宙人のどことなく哀しく淋しい雰囲気を担っていたのが如月さんだったと、終わってみて思う。望月さんのマナベに手を離されて殺されるのが如月さんだったのは、今思うと必然というか。
上記の江本さんと共通してだけど、自分は作・演出の人の役者としての姿が好き、と発見させてくれた。
■木村ゆう子(帝京大学ヴィクセンズシアター)■
『異性人』ユウコ役。
彼女もまた、その存在・肉体によって役の情報量を圧倒的に膨らませてくれた一人。って言うと大仰なんだけど、当初は「ユウコのモテない感をどこかで描写しなければ」と思っていたのである。しかし、そんなもの台詞で・シーンで書かなくても、全然大丈夫だった。木村ゆう子がやるだけで、「ドラマで、女芸人がやるヒロインの友達ポジション」はあっさり体現された。
中盤の宇宙人Bに吸われる直前の照れるくだりは、毎回「かわいらしい」と「面白い」の中間を突く爆笑シーンになっていたが、あれ、木村さんと甲田守のエチュードを書き起こしただけだからね、言っちゃうと。
若くして落ち着きとツッコミのスキルを有しているのはホントに希少だと思う。山口の田舎で、お笑いのDVDを見てルサンチマンを解消していた彼女が、東京で客席の笑いをとっているとか、涙が出ますね。
ってことで、若い座組みでコメディやる人よ、呼ばない手は無いぜ。そして俺もまた今後ともご一緒したい。
■甲田守■
『異性人』宇宙人B役
アガリスク最多客演回数で、いつもお世話になっているんだけど、座組で一緒になるたびに不思議さが増していくイケメン。
今回の宇宙人B像はそんな彼の不穏な部分をそのまんま映したような役で、これは演技によって再現するとかそういう次元じゃない気がする。妖しい芝居をするとかそういうことじゃなくて、全ての所作にうっすらを不思議さのヴェールが掛かっていた笑。
ただ、我々は過去に彼の熱い芝居も知っているので、次とかはそこらへんも見せてもらいたい。ということで次回公演『ナイゲン』にてわりと真ん中の役をお願いすることが決定。
■後藤慧(コーヒーカップオーケストラ)■
『静かに殺したい』隣人役
「隣人」というより、もはや「過激派」と言ったほうが伝わりやすくなってるかも。色々と過激な事をやってくれた。
新宿コントレックスでの暴れっぷりに惚れ込んでオファー。『静かに殺したい』の、「この作品は役者のもの」感を体現していたのは彼。終盤の展開は完全にお任せ状態で、これはおれが固めて書くより後藤さんに任せたほうが面白いな、と痛感してしまったからなので、実はちょっと悔しい。
脱いでもセクハラしても絶対に嫌われない、なんとも言えない可愛らしさがニクい、羨ましい。千秋楽とかで脱ぎまくって「もうこの劇団には呼ばれないぜ~」とか言ってたけど、今度は後藤さんに任せるより面白いネタを書いて勝負したいので、またご一緒したいっす。
あとアフターイベントでもお願いした落語は本当に格好良いと思う。
■斉藤コータ(コメディユニット磯川家)■
『静かに殺したい』笹井涼介役
片方の作品での絶対的主役。こんなに一人に任せた事ってアガリスク史上無かったんじゃないか。
大空襲イヴで始めてご一緒したときから、その圧倒的な戦闘力に慄いていたので、満を持してファルスの主役をお願いした。準備や稽古時間が少なくてホントすいません、ホントお疲れ様でした。
近くで見て改めて思ったのは、ベタな動きや台詞でも、演じるときの情報量がものすごく多い。だから「○○を隠さなきゃいけない」とかの、このあと笑うために必要なルールを、わざわざ台詞や展開で説明しなくても大丈夫になってしまうほど。コメディとして伝えなきゃいけない沢山の事を、瞬時に他の台詞や動きの中で伝えてしまうのがすごい。処理能力とか表現するスピードがとんでもなく速いのだろう。他の人が8ビートの中、16ビートで刻んでいるというか(音楽の喩えは合ってるかわからないけど)。
稽古終盤とか、その吸収速度もあいまって、サイヤ人かと思った。静かに殺したいはいつか膨らませて、もっと物を削って、デカい劇場でやりたいっすね。
■菅谷和美(野鳩)■
『静かに殺したい』佐川さん役
チャーミング。稽古でアップをするときにはとの反射速度の追いついて無さに大変心配になるのだけど、実際に芝居をしているとそんな事を感じさせない自由さで動き回ってくれる。そして、その所作がいちいち可愛らしい。そして稽古中に飛び出すアイディアや、「仕掛けにくる」ところが頼もしい。
とおもいきや、飛び道具みたいな芝居では全然無くて、いつのまにか細かいところを感情や人間の生理として細かく組み立ててくれている。
菅谷さんなら、座り芝居をしてても退屈にならない演技をしてくれるんだろうなぁなどと、色々妄想は膨らみますね。
■細井ひさよ■
『静かに殺したい』宮崎役
まさに「細井ひさよ力」をガンガン発揮してもらった。昨年の5月くらいに+1って劇団に客演しているときに「なんだこの不穏な女優は!」と驚いたら、ウチに客演した大久保さんや望月さんともお知り合いとのことで知己を得て、満を持してのオファー。普通の言動をしているだけで大変奇妙で面白いので、斉藤コータ主演の超早い展開のコメディの中で、異物感として存在してもらおうと画策、結果、見事にそれ以上の効果をあげてくれた。
終盤の「あたしの胸に飛び込んで来いっ」と「おい…!」の台詞は、馬鹿っぽい台詞を・甘酸っぱい中で・面白い人が・言う、という、分解すると大変ややこしい構造なんだけど、細井さんがやるだけでそれは叶ってしまうのがすごい。あそこ、なんだか何週もまわって泣きそうになるんだよな。大変可愛いらしい芝居でした。
■望月雅行(劇団バルド/ハーリ・クィン)■
『静かに殺したい』大久保役
『異性人』マナベ役
毎度お世話になってます、望月さん。全く毛色の違う二作品に出演して頂き、劇作や演出の面でもかなりアドバイスをくれ、ホントに頭が上がらない兄貴。あと最近、おれは望月さんに色々注文をする中で演出の言語を覚えているんじゃないか?という感もあり。色々できるので色々お願いしてしまう。
『静かに~』でも序盤の騒ぐシーンから終盤の勘違いまで背骨を支えてもらったのだけど、特筆すべきは『異性人』のマナベだと思う。やはり望月さんはこういった複雑な心情や立場を表現していただくのこそ似合う役者だと確信を得た。以前にLBGT(性的マイノリティの色んなパターン)の一人芝居を上演されてたとのことで、そこらへんの知識やリテラシーがあるのと、その切なさとネタとしてのバカバカしさを両立できるところが本当に頼りになった。今思い返すと『異性人』でのマナベの出てくるところは大抵がハイライトになるんだけど、そのなかでも千秋楽とその1個前のステージでのアキラとのケンカ別れは絶品だった。
普段、あんまり自作の登場人物に拘らないんだけど、望月さんマナベに関してはまた見たい・会いたいと思ってしまう。
と、書いていたら以上に長くなってしまった。
劇作について・演出についてのアレコレはまた別のエントリで書きなぐりますね。
あと、公式のライナーノーツをアガリスクBlogかなんかに書こうと思う。もっとまとまったヤツをね。
これに関しては過去公演のも書きたいなー、と思っては、いる。

恋人隣人他人異性人

異性人。
信頼と寛容の話。
愛の話…とまで言えるかどうか。
恥ずかしがらないでやり切らなきゃだ。
アガリスク史上一番ハードな話になってるけど、『なんとかなんのさ』(マボロシ)の領域に到達したい。

【メモ】シチュエーションコメディにカメラワーク演出

【メモ・備忘録】
・シチュエーションコメディにカメラワークという概念を導入する
・舞台上の場所の定義からも自由になる。「舞台上のこの部分を、お話上のここと定める」ことからの解放。
・舞台に中心となるモノを定め、それを基準に据えて観客の視点を様々な方向にしたり、フォーカスしたり
・舞台上にグリッドのみ書く
・中止となるモノはテーマ的な中心のモチーフ?
・それってシチュエーションコメディに限定しなければ普通のことでは?
・それをやることで、喜劇の表現として、笑わせる為に有効か?
・元来は俯瞰で、神の目線で進行するものに、カメラワークという主観を持ち込む。それの作品的な意味はあるのか?

自信作の呪い

エクストリーム・シチュエーションコメディが呪い。
あれが自分達の理想すぎて、コメディタッチの会話劇も、ベタなシチュエーションコメディも、書けなくなっている。
ああいった、お話の要素がなく、実験的で、クレバーで、ものすごくチープな、作品の表面上に全くエモーションを感じられないような作品こそが、我々アガリスクエンターテイメントのやるべき表現なのではないか。
何をちょいハードめな話とか「微かな希望」とかを物語使って書いてるんだ、って思うことがある。また逆に表現手法の面でも、エクストリーム~をやった上で、今さらただの勘違い誤魔化し系シチュエーションコメディをやってどうする?とも思う。
ということで、『異性人』も『静かに殺したい』も、一筋縄では行かないものにしようと悪戦苦闘中です。
役者が面白かったりすると、ついつい普通の「お話」とか「シチュエーションコメディ」で満足しそうになっちまう。
そんなものは、20世紀に、どんだけオマケしてもゼロ年代に置いて来なきゃだ。
いや、違うか。年代じゃない。そんな旧態依然としたものは、アガリスクでは華麗にスルーしなきゃだ。
完成度とか、安心感とか、評判とか、興行とか、「考えなきゃいけないっぽいもの」は沢山あるらしいけど、自主でやってて、なにやってもいい主催公演で、自分達の一番最先端じゃない表現なんて何の価値があるというのだ。

38mmなぐりーず に脚本提供終了

小劇場で活動する舞台女優によるアイドルユニット、38mmなぐりーず(さんぱちなぐりーず)のお披露目ライブに、コントの台本を提供させてもらっていました。
ダイジェスト(予告)
USTREAM中継
以下、超ザックリ振り返る。
脚本提供した内部の人間なのに好き勝手言ってます。距離感がつかめてないんでご容赦下さい。
■脚本提供ということ■
舞台での脚本提供は、なんやかんやで初…のはず(自主映画はあったっけな?)。
最初、コントをやってほしい(アガリスクで)というご依頼というか提案を頂き、「アイドルユニットのお披露目で我々が出たら色々おかしくなるのでは」ということで、脚本提供をさせていただくことになりました。
アイドルイベントが発表の場ということで、「自分」と「アイドル」と「演劇作品」の接点を探った結果、「アイドルのライブでの現象・感動を、演劇作品として物語に納める意味はあるのだろうか?」と自問したりもしながら、最終的には、自分にとっての「アイドルとは」を浮かび上がらせる会話劇にすることにしました。
(この時点で、コントにするというハードルをすっかり忘れております)
でもまぁプロデューサーから「お話っぽくてもOK」と言ってもらえたのでそのまま進めることに。
とはいえやはり「コント」と銘打って行われるし、そもそも自分のプライド的に、笑える時間の方が長くなきゃ失格という思いもあったので、お話のテーマ的な部分をいかにダブルミーニングでギャグにするかに苦労しました。
そしたらまぁ長くなってしまった。ここのところ90分級の話を50分におさめる練習ばっかりしていたので、何とかなるだろうと思っていましたが、いかんせん30分になりそうなものを12、3分に圧縮は難しいものがありました。
また、演出を他の方に任せる以上、そして全く知らない役者さんに任せる以上、解釈の微妙な差異や見た目を「見越しておく」ということが必要なのだと知りました。
■上演されたものを見て
率直な感想としては、「演出したかった」が第一。
短い時間で作品を立ち上げていくスピード(だったらしい)はすごいのだけれど、もっとネタと、そうでない部分をメリハリをつけてスパスパ切り替えていくことが出来たのではないか、と思ってしまった。
出演者の感情の生理にはあっていたのかもしれないが、あの尺でこの情報量を捌いて笑いもとるためには、より「理屈」で分解して緩急の型を決めてしまわないと難しいと思う。
自分なら、「お話として読み解く」で確認した後、全く違う「ネタとして見せる」視点で再構成する。
稽古を見てて印象的だったのは、「ちゃんと相手の言葉受け取りすぎ」という点。
「相手の台詞をちゃんと聞いて、しゃべる」っていうのが演技の原則として言われるけど、我々は日常会話で相手の話なんかほとんど聞いてないし、コントや漫才においてそんなことを考えてる場合じゃない。
というより、そもそも「相手の話を聞く」というのは、「相手の言ったことを聞いて、頭で解釈して、感情に照らし合わせて自分の反応を決める」ってことじゃないのではないだろうか、と思った。
もちろん、ただテンポだけで組んでいったらつまらないけど、「場」のテンポというのは確実にある。登場人物の生理を無視してそれに合わせちゃうと所謂「テンポだけ」の芝居になるけど、自分の生理を引きずったまま、「場」のテンポに乗っかっていく、って道があるんじゃないかと。そしてそこの「ズレ」がドラマチックになるんじゃないかと。…って何言ってるんだかわからないですね。
というのを、昼のステージを観たあとにも感じていたのだけど、なにより、昼と夜の間のダメ出しの時間で最後まで熱血の振り付けをする二階堂瞳子(バナナ学園純情乙女組)を見て痛感した。
稽古したい。もっと理想像に近づけたい。
って。今回は脚本提供だけで、演出はプロデューサーの池田氏が担当することになっていたので、あとからそんなこというのは筋違いだし通らないんだけど、でもやっぱりそう思ってしまったのだ。
それと同時に、台本的な欠陥も見つけてしまったので、そこも直して自らの手で演出したいなぁ。これに関しては「発表したい」っていうより「稽古したい」「作りたい」の方が近い。どっかで稽古の一環でやる機会無いかしら。
あ、そのあとの千秋楽のステージは、昼より全然良い出来でした。
若干、「その表現じゃ誤解を招きかねない」とか「すいません、ここホン的に弱いんで演出でフォローして」って部分は無くはなかったけど、出演者の皆が台本という武器を使って自分で客席と切り結んでいるところが見えたり、ウケることでノってくる様が見えて、非常に嬉しくなりました。
■38mmなぐりーずについて
自分は今回のお披露目ライブのコント提供だけのかかわりなのだけど、まぁ、アイドルユニットについて思うところもあるし、というより、アイドル業界にはそんなに詳しくないけど「演劇の集団でアイドルの漢字を達成するには」をずっと考えているので、いくつか思ったことを書いておこうと思う。
この38mmなぐりーずの今後を考える上で、一番気になるのが(レビューで書いてくれた人も沢山いたけれど)「どこをターゲットにするのか」だと思う。
目的としては、小劇場演劇の、そしてメンバーの女優達のアウトリーチとして始めた、と聞いている。
今回の内容が(「KANGEKI☆おじさん」に代表されるように)小劇場演劇のあるあるネタで構成されているのに関しては、「まずはお披露目」「まずは味方を得る」ということなのだとして。
気になるのは、このユニットは「全力の遊び」なのか「本気のアイドル活動の序章」なのか、という点。
「全力の遊び」なら何も問題は無い。超楽しかった。
しかし、「本気のアイドル活動」となると、現時点でも課題は山積しているように見える。
一つ目は「専業でない」という点(他の地下アイドルがそれだけで食えてない、ってのは置いとくとして)。
メンバーも皆、所属している団体があったり、次に個人で出演予定の舞台公演などが沢山ある模様だ。
となると、メンバーが継続的に活動していくことが可能なのか、という疑問は出てくる。また、他の舞台の活動をしながら、(言い方は悪いが)片手間での活動で、他のアイドルが鎬を削る戦場に出て行けるのだろうか、という点も疑問だ。
二つ目は「何を売りにするか」という点。
小劇場演劇(の中でもCoRichとか使う、学生劇団出身の東京のシーン)の中で「アイドルユニットを組む」と言ったらインパクトはあるが、もっと広く考えると、アイドル戦国時代と言われている昨今、数ある○○アイドルの中に飛び込んだとして、「小劇場の女優によるアイドルユニット」という切り口は、色物としてのインパクトがあるとは言えない。だって「有名AV女優によりアイドルユニット」とか「ダイブして重傷するアイドル」とかがいるんだぜ、今。
その中で、しかもインディーでやっていくわけで、何を武器にするか、これを模索するのが急務だと感じる。
最近、アイドルがよく舞台に進出している現状で、アイドルとして演劇界を代表することが出来るのか、というのも含めて。
三つ目は「歌や踊りをやるべきなのか」という点。
根本的な話になるけど、世のアイドルと勝負していく中で、「アイドルとは何か」が問われていくと思う。そういったときに、小劇場の女優がアイドル的な歌や踊りを模していくことが、果たして構造的に「アイドルの持つ感動」に繋がるのか、という点だ。これ言っちゃおしまいかもしれないけれど。
インディーの世界・小劇場演劇で活躍するクリエーターによってプロデュースされたアイドルが、世の中にでて注目を浴びることで「小劇場演劇界からの刺客」になるのならば、やはり演劇に近いパフォーマンスの方が良いのではないか。
それこそ、選ばれた固定のメンバーがいて、それに合わせて色々な小劇場演劇界のクリエイターが、どこでも披露できる長短様々な作品を提供する、とか。お笑いの場にも、音楽のライブの場にも、ダンスの場にも、ジャンルを越えて進出できる一つのチームを作り、小劇場演劇そのものの広告塔になる。そしてそれを小劇場演劇ファンが応援したり、他の劇団が嫉妬したり白眼視しながら見守っていく。
これは一例だけど、つまりアイドルユニットがやることを模すのではなく、構造的にアイドルユニットのような集団を作る方が、本来の目的に合うのではないか、とか思ったりもする。
もちろんここまでくると38mmなぐりーずのコンセプトとも違ってくるので、お門違いな話かもしれないけど、要するに「アイドルユニットをつくって歌や踊りをすると、アイドルの中で目立つの?」とか「それって演劇界のアウトリーチになるの?」って疑問もあるよ、という話。
■とか言いつつ
脚本提供と演出論において非常に勉強になったし(なんせ初なんで)、アイドルユニットについても非常に勉強になりました。
超楽しかった。
あと、歌って踊ってる全力の女子は可愛い。企画自体とか構造的な疑問はどうでもよくなるくらい。