あいつら

あらかじめ断っておくと、何のオチも提言もお知らせもない雑文です。というか、もうこんなのくだらない妄想です。
そもそも、演劇の登場人物を擬人化して語るのとかは好きではないんだ。
役者が自分の役をさも実在の人物化のように擬人化して語るのとか酔い過ぎだと思うし、作者が自分の考えたキャラクターをいつまでも愛でたりするのは恥ずかしいことだと思っている。基本的には。
お客さんに愛でたり夢想したりしてもらえるのはとても嬉しいんだけど。作り手はね、ちょっとそこは冷静でいようね、と考えてる。
だからスピンオフとか考えたりはしない。
でも、ナイゲンの登場人物だけは、たまに、ふとしたときに画が浮かんじゃうと気があるんです。すいません、ダブルスタンダードで。
例えば、一年後の夏、専門学校通ってて、文化祭とか学校行事とかに全く興味ない勢に戻ってて、似た感じの仲間とつるんでる道祖神。
ちょっと泣きそうになりますよね。
といってもそれはネガティブな意味とかじゃなくて。
あのナイゲン(内容限定会議)を経たからって皆が変わるなんてことはなくて、もちろん何がしかの影響は受けてるんだろうけど、それはそれとして皆が普通に文化祭とか自治とか関係ない自分の人生を生きてるってのに、感動とも感傷ともつかない独特の感慨があるんですよね。
たぶん分析すると「(一見そう見えない)あんな人やこんな人の人生の中に、一夏だけ、一日だけ、あんな会議があった」ってことがとても嬉しいんだと思う。
今日、ドラマ(逃げるは恥だか役に立つ)を見たのと、同じく同ドラマを視聴した斉藤コータ・鹿島ゆきこの感想ツイートを見てことで、なぜだか文化副・文化書記・海のYeah!!が大人になって再会して談笑している姿を想像してしまった。
卒業10年後の学年同窓会かなんかで、ホテルの宴会場で談笑してるめかしこんだ三人。
文化書記の結婚とか決まってて、「当時のカップル」として皆に囃し立てられてる書記と海の~。
で、自分も色々あったのに周りの同学年の人達が(あの日の内容限定会議に出席してないがゆえ)知らないからって何も言わずにちゃっかりと皆に乗っかって笑ってる文化副。あいつそういうとこあんだよな。
当事者のそいつらと、どっかのテーブルにいるハワイ庵とか議長だけは三人の関係性知ってるけど、別にわざわざ言い出さないっていう(当然アイス~と監査は同窓会は欠席)。
彼ら彼女らにはナイゲンのあの瞬間の後にもそれぞれの人生があって、色々あったうえでまた集まって笑ってる(そして変わってない)姿に勝手にグッと来てしまった。
作者が後日談妄想して感極まってりゃ世話ないんだけど。
こういうのは考えようとして考えるものじゃないから、次はどのあいつらの画が浮かぶかはわからないけど、ちょっと楽しみだったりもする。
ナイゲンはそういう、“あいつら”を楽しむ作品だからしょうがないのかもしれないっすね。
そうそう、いくつかの専門学校の学内公演とか卒業公演とか、はたまた名古屋の劇団・バッカスの水族館さんとか、ナイゲンを上演してくれるところがいくつかあります。
関係者とかお客さんの中にまた別のそういう楽しみが生まれるといいですね。