ナイゲン終了しました&これからナイゲンを演じる皆様へ

遅くなりましたが、ILLUMINUS selection『ナイゲン』終演しました。
沢山のご来場、誠にありがとうございました。

熱心で気の良いキャスト、ナイゲンのことをよく理解してくれているスタッフという、本当にいい座組みだったと思います。

劇団じゃない外部のプロデュース公演でここまで自由にできるのか、ここまで大人の事情抜きで作品作りのことだけ考えられるのか、と少し感動しました。偏にプロデューサーの佐野木氏のおかげです。超ありがとうございます。

歴史の違いはあるけどさ、本人仕様にカスタマイズされた台本じゃないけどさ、それでも、個人的にはアガリスクで何度も上演を重ねたものと遜色ないものができたと自負してます。

そして、この作品の持つ強度を改めて実感させられました。やっぱナイゲンってネタ、強い。
そしてそれを知った上で思うけど、ここまで皆様に気に入ってもらえるとは。
(本当ありがとうございます)

同じ国府台ネタだと『卒業式、実行』の方がコメディとして運用しやすかったりするんだけど、ドシンとした塊としてはやっぱりナイゲンの重さはすごいな、と。
今後の劇作を考える上で、とても良い指針(であり高いハードル)になりました。

っていうことを語ると長くなるから置いときますが。


さて、そんな久しぶりの冨坂演出版ナイゲンが終わったのですが、また別のナイゲンが始まります。
新宿シアター・ミラクルで毎年やっている、劇場企画のプロデュース公演のナイゲンです。

今日、第一弾出演者が発表されました。

また新しいメンバーによる新しいナイゲンが作られていくわけですが。

せっかくなので、ここらで、以前(ミラクルで2016年版をやるときかな?)ナイゲンをやるキャスト向けに配った文章を再掲しておきます。

原理主義者よりナイゲンを演じる人たちへ

以下に書くのは、「作者の冨坂友はこう思って書いたよ」という私見です。野暮ですが書きます。
上演の方針を決める権限も責任も演出家にあります。なので、ジャッジするのは演出家にお任せですが、一応、作品についての思いみたいなものは伝えられればと思って書きます。

ナイゲンはありがたいことに人気の演目で、いろいろな団体の方がやってくれてるし、お客さんも「青春」ってパッケージを気に入ってくれるし、わかりやすく全員野球なので演じる側も気持ちがいいらしいです。
それはそれでありがたいんだけど、もっと“めんどくせぇ学校”の思想の話なのです。

ナイゲンは“自治”の話です

ナイゲンは千葉県立国府台高校という冨坂の母校に実在する会議です。で、その学校の校訓“自主自律”をテーマにした演劇です。

高校って色々あると思うんです。結構自由なところから、謎の規則でガチガチなところまで。
そんな中で国府台高校は「自分達で規則を作っていきましょう、そのかわり守れよ」という自治を重んじる高校です。70年代に学生運動の流れを受けて「自由な校風にしよう」といってその方針に舵を切り、それ以来、派手に行事やったり、服装・頭髪の縛りを減らしたり、その為に面倒な会議やら組織を運営する独自の文化を形成してきた、全国にまだちょっとだけ残っている“自由な進学校”の一つです。
“学校のことは生徒が自分達で決める”ということが是とされている学校なわけです。

でも、それってなかなか難しいんですよね。
意思決定をするためには長い会議を必要とするし、面倒くさい手続きを必要とするし、ややこしい組織が必要になるし。相当がんばらないと高校生がその意識を持つのって難しいと思います。実際、色んな行事を体験して、卒業直前に気づく人が多いです。
で、そんな文化が形骸化して、生徒の自治の力も落ちてきて、教員による締め付けも強めになってきたころの話(現実に起こっている)が本作「ナイゲン」です。

「文化祭のあれこれを決める面倒くさい代表者会議の場で、突然、教員から理不尽な要求を突き付けられました。さて、彼らはどういう結論を下すのか?」という話です。
「小国が隣の大国に侵略されました。さて、降伏しますか?徹底抗戦しますか?」っていう古典的なお話と同じ構図ですね。

そういう場合、主人公が皆を鼓舞して徹底抗戦するのが定石です。
でもナイゲンの場合、「理不尽な節電エコアクションを受け入れる」つまり「降伏する」という結論を下します。
うーん、敗北主義的ですねぇ。
でもそれがネガティブなものではないんじゃないか、という話です。

なぜでしょうか。次へ続きます。

ナイゲンはどさまわりの信仰の話です

「ナイゲン」という話で上記のようなテーマを持ち込むのは、3年3組「どさまわり」の代表者です。彼は学校大好き人間で、「自主自律」を「自治」を何より大事に思っているわけです。下手をすると行事そのものより、その精神性を重視するっていう。国府台高校での思い出や体験や友人や関係性ではなく「国府台高校」という概念を重視しています。何かに似てますね、そう、宗教です。

彼は「国府台高校」という一神教の原理主義者なわけですね。たぶん最初は国府台高校の風土とかそこから生まれた行事に憧れていたはずなのですが、前述のようにそれが衰えていく様を見るにつけ「俺がなんとかしなきゃ」と思っていき、原理手主義的な方向に走っていったのでしょう。それで花鳥風月と袂を分かったこともあって、終盤にああいう暴挙に出るのだと思うのですが。

そんな高校生いるわけねぇだろ、って?ですよね、普通あんなのいないです。ヤバい奴だし。でも、大体高校時代の僕です。
というか、うちの学校の場合、学年に結構な割合で「学校大好き人間」はいて、そのなかの一人二人ずつくらいはそういう「信仰心」でやってる奴だった気がします。

ただ、そんな「信仰心」みたいなのでやってるやつって理解されないんですよね。そりゃそうだ、だって周りの為じゃないんだもの。「自分と神(国府台高校)」の一対一の関係性なんだもの。

だから彼の主張する「自分達のことは自分達で決める」という主張それ自体は正しくても、そのスタイルと、作中でとる方法論ゆえに理解されないわけです。

ナイゲンは、みんなでどさまわりを折る話です

「自治」には「自分たちで決める」「その決定を守る」という二つの側面があります。で、どさまわりは「その決定を守る」ということに固執しています。でも、もはやこの国府台高校(=この内容限定会議)では「自分たちで決める」という部分が失われているわけです。なにせ形骸化しているんだから。
そして、本作は「自分たちの決定を守る」という部分を諦める代わりに、「自分たちで(話し合って)決める」というもう片方の部分を獲得するっていう話なわけです。

それが「自分達の意思で節電エコアクションを受け入れるという決定をする(話し合いによって)」という本作の結論です。
それが、どさまわりのセリフ「こういうさぁ、納得できないことは反対しなきゃいけないんだって。なんでそれがわかんないんだよ」「ナイゲンってのは、うちの学校ってのは、こういうことじゃないんだよ。こんなの押し付けられて従っちゃうような、そんなくだらないものじゃないんだよ」と、それに対する議長のアンサー「節電エコアクションは、もう誰かに押し付けられたものじゃありません。内容限定会議で作った、花鳥風月の発表内容です」なわけです。

ちなみに、昨年、学校側に反対して自治を守ろうとしたけどダメで諦めてた花鳥風月は、この会議の最後のほうの皆で「11ぴきのエコ」を成立させようとして話し合う姿に、この学校のあるべき姿を見たから「やりたいです。うちのクラスの発表内容を節電エコアクションに変更してください」なわけです。ぶっちゃけ内容はもうどうでもいいのでしょう。

で、花鳥風月とどさまわりの3年生二人は、議長を中心とした2年生の姿に安心して、何かを継承している、っていう。
ハッキリ言って、このお芝居の終盤の時点で、あいつらは何かを卒業していますね。まだ文化祭はじまってもいないんだけど。もう文化祭なんてしなくてもいいくらいなもんですよ。

なので、この話は、“国府台高校のあり方”にこだわってきたどさまわりが、他の皆が意図せずに“本当の意味(もう一つの意味?)での国府台高校のあり方”を体現しているのを見て、気づかされる話でもあるわけです。そんでそれが先輩から後輩への魂の継承になってる、と。(どさまわりと議長の最後のやり取り)

つまり、最後の会議としての盛り上がりがないとお客さんもカタルシスを得られないばかりか、花鳥風月も安心して「やりたいです」って言えないし、議長も「僕は、これが内容限定会議だと思います」って言えないし、そのときの皆の姿を見なきゃ熱心な信仰心を持つどさまわりを折ることはできないんです。
本来関係ない「信仰の話」と「会議」を無理やりここでつなげているわけですね。

ナイゲンはウケないと成立しない話です

上記のような、大変めんどくさいテーマを扱っているわけです。
高校生の考え方として一般的じゃないし、そもそも演劇の題材としても一般的じゃないし、しかも最終的に「決起するのではなく圧政を受け入れる(極論)」という、物語的にカタルシスを得づらい、ともすると苦くみえる結論で終わります。

それを観客にすんなり受け入れてもらうにはどうするか。それは、コメディとして圧倒的にウケることです。

この話において、いやもっと言うとコメディにおいて「笑いを取る」ということは物語上のスパイスでもなければ、ラッキーでもありません。クリアしなければいけない大前提であり、ウケないと見世物として成立しない、先に進めない物語のことをコメディというんだと思います。で、この作品もそう思って作ってます。

思いませんか?演劇や映画の感想のなかで使われる「爆笑」のハードルの低さ。声に出してからが「笑い」だし、他の声が聞こえなくなるほどウケてはじめて「爆笑」でしょうよ、と。
中盤(明確に指示すると海のYeah!!浮気発覚~トイレのくだり)で「爆笑」まで行って、お腹一杯にしていないと、そのくらい温まった劇空間じゃないと、どさまわりが何を言い出してもお客さんは「知らんがな」ってなると思います。

演出家がどういう方針でジャッジを下すのかはお任せですが、たぶん座組全体で「今は、どの登場人物が(または全員の場合も)、どういう種の、笑いを取るのか」「その為に各自がどういったパフォーマンスをすべきか」って意識を常に共有していないと、それは叶わないと思います。ちなみにその中でも「おばか屋敷」と「海のYeah!!」はエースストライカーです。
じゃないと多分成立しないです。

ナイゲンは序盤が退屈です

で、そんなこと偉そうに言っているわりに、このお芝居、序盤が退屈なんですよ。そこんとこホントすいません。

なんで、積極的に“稼いでいく”しかないっす。“おもしろげ”な空気を醸し出していくしかないっす。とれるところはどんどん笑いを取りに行くしかない。んでもってサクサクと進めるしかない。

そして「こういうやつ居そう!」を表現していく。「こいつのこういう部分、俺の知ってるあいつに似てる」でお客さんの興味を持続しつつ、入り込ませるしかないです。それは役者の元々の資質を投影するのでもいいし、「実際にいた自分の知ってるあいつ」をマネするでもいいし。

おわりに

そんなこんなでいろいろ書いてきました。
あくまでこれは作家の意見なので、現代演劇においては演出家の解釈でいろいろなものを発見するのが正しいみたいだし、演出家と話しあって作っていきましょう。

とはいえ、ここまで思って、読み取れるように作ってきた作品だよ、というのは皆さんに理解してほしくて長々と書いちゃいました。

ナイゲンがこの形になったのは2012年版(初演と言われること多いけど再演です)ですが、この作品は僕の入学前・在学中・卒業後の十数年間の国府台高校への思い入れが詰まった卒業論文でもあったりします。
わかった上で新しい価値や解釈を乗っけてこの作品をアップデートしていって頂ければ幸いです。
乱文乱筆、失礼しました。

脚本:冨坂友(アガリスクエンターテイメント)

夢中と深刻

夢中になって書く、それでいて深刻にならずに書く。
気合をいれつつ能天気に書くともいうか。
この状態を毎回発動させるにはどうしたらいいものかね。
七、八年やってるけどまだそこんところ自由にできない。

【備忘録】「視点」による裏のドラマ

●アイデアメモ
シチュエーションコメディに『レイチェルの結婚』的な目線の概念を設ける案。
基本的に「その状況を俯瞰で見る」っつー同ジャンルにおいて、「その俯瞰で見てるのは誰なのか」っていう。
観客の視点を、作中に語られるけど登場しない誰かの視点とする。
舞台が一部屋で行われることが多いわけで、だったらその部屋に住む地縛霊?家族の中で先に亡くなった人?
気づくとそこにドラマ、気づかなくても単に面白いシチュエーションコメディ、みたいな。

ナイゲンを上演してくれる学生の方とか、います?

はい、タイトルのとおりです。
昨年夏に上演し、ご好評頂いた高校生会議コメディ『ナイゲン』ですが、結構たくさんのお客様より「高校演劇に向いている」「母校の演劇部の新入生歓迎会用の演目したいなー」「リアル高校生がやるバージョンも見てみたい」などのお声を頂いておりました。
また、今までに比べるとかなり沢山の高校生や、大学の演劇サークルの若い方たちにも楽しんで頂けたようなので、もうここらで公式に「やっていいよ!(っていうかやって下さい、良かったら)」と言うことにしました。
ナイゲンは、国府台高校とその校風に対する、自分の考えの結晶のような作品です。
入学前から憧れて、在学中には心酔していた国府台高校というものを、卒業後の視点で書いた「国府台高校論」であり「生徒の自治論」です。
なので、初演から再演の間や、再演を作っている最中は「高校を卒業した“ポストの目線”でやるから意味があるんであって…」などといっておりました。
でも、実際やってみて、それこそ国府台高校や生徒会活動なんてまったく関係がなかった、という方にも楽しんで頂き、別の何かを受け取って頂けたことから、「違う人たちがやっても意味がある作品なんじゃないか」と思うようになりました。
むしろ、現役の高校生がやったら、何か別の意味が立ち上がってくるんじゃないか、という楽しみな予感すらしています。
って、まだどこも「やりたい」なんて声をかけてきてくれた人はいない訳ですが(笑)、そんな風に思っていますので、もし気に入ってくれた方で、「どこかで上演したい」という思いのある方は、お気軽にお声掛け下さい。
高校生とか大学生とかじゃなくても全然かまわないので!
【特徴】
下に高校生や大学生の演劇でやる際のナイゲンの特徴を箇条書きであげつらってみます。○はメリット、●はデメリット。
○舞台セットが楽…学生以外で学校の環境をそろえるのは大変ですが、学生だったらむしろすごく楽だと思います。衣装なども然り。
○男女比が大体半々…男性7名・女性6名と半々なので、何かと揃いやすいのでは。
○均等に良い役…13人の群像劇で、ある意味全員主役。
○ウケる…無理に体をはったギャグをしなくても笑いが取れる。
●ムズい…一幕一場で全員出ずっぱりなので、退屈に見えない工夫が必要。
●ムズい…全員の息が合わないと成立しない。
●ムズい…体をはったギャグはないけど、それで笑いを取るためには、的確な情報の出し入れが必要で難しい。
●ムズい…2012年版の出演者への宛て書きなので、他人がそれを忠実に再現しようとするととても難しい。話の上での役割だけ抑えて、あとは実際の出演者に合わせてアレンジしたほうが賢明。
…といったところでしょうか。なんだかとても志の低い感じの箇条書きになってしまいましたが、まぁ我ながら、大変ですがやりがいはある作品だと思います。
【条件】
●要連絡…連絡は下さい。チェックの意味ではなく、純粋に見てみたいので。冨坂だけでなく、アガリスクエンターテイメントのメンバー(現在は5人)は見られるようにして頂けると幸いです。
●上演料…無料公演の場合は上演料は頂きません。
●内容の変更…演出的な見せ方の変更や、台詞の変更は構いません。大幅なストーリーの変更や登場人物の変更の場合にはご相談下さい(「原案:」とか「原作:」とかにしてもらうかもしれないので)。
●クレジット…パンフレットかチラシか看板か、どこかに「脚本:冨坂友(アガリスクエンターテイメント)」の表記をお願いします。
無料公演だったら基本的にほぼ全てオッケーを出すと思います。有料の公演で使いたい場合にはご相談ください。
内容に関しては口を出しません。大きく脚色するときは、こちらのクレジットを原案とか原作にしてもらうようお願いするかもしれませんが、どう上演するかは自由です。
【お問い合わせ】
上演をご希望の方は 
まで、
・団体名
・代表者名
・連絡先メールアドレス(PCメールを受け取れるもの)
・どういった場での上演か
を書いてご連絡ください。
ナイゲンが、新たな顔となって上演されている姿を見るのを、楽しみにしております。
【ついでに】
この台本を、“雑貨と本と演劇の委託販売を本当にやってる架空のお店「架空ストア」”にて、電子戯曲という形で販売する運びとなりました。
PDF形式の電子書籍になっておりますので、ご興味ある方は是非こちらで読んでみてから決めるのはいかがでしょうか。
架空ストア『ナイゲン』
自分たちでも2013年の夏に再演(再々演)することになりました。ご興味ある方はこちらも宜しくお願いします。
アガリスクエンターテイメント第18回公演『ナイゲン』(2013)

テトリミノ=ファクトリーとは。今までのと、今回の。

執筆中なのに深夜にブログを書いている。
そう、それは良くないときの傾向。進んでいないときの傾向。
あ、5/2(木)に新宿コントレックスVol.9をやるのですが、アガリスクはテトリミノ=ファクトリーという過去作をリメイクして挑むのです。
そして台本の作り直しと、今回は映像制作も控えているわけです。なのに台本の段階で進まねー進まねー。
とりあえず、自分の中で整理するために、テトリミノ=ファクトリーとは何なのかを書いてみようと思う。
テトリミノ=ファクトリー。それは、アガリスクが2008年のシアターグリーン学生芸術祭Vol.2で短編枠に参加したときの作品名。
3団体のオムニバス公演で「共通のアイテムとして黒い立方体を4つ使おう」という縛りと「映像使いたければ使えるよ」という条件での作品づくりだったので、「立方体4つの組み合わせといえばテトリス」「じゃあテトリスのネクストブロックを作るヤツら」という思考で立ち上げた30分の作品だったのだ。
そして、アガリスクにとっては初の東京の小劇場シーンへの進出となる作品。どうなるのやら…と期待と不安に胸を膨らませていたところ、蓋を開けたら超ウケた。
いや、今考えると最近の本公演での一般的なウケと同じくらいなのかもしれないけど、今より笑いを取りに行ってわりに今より全然ウケていなかった自分達としては、びっくりするぐらいの反応に感じたのだった(その年の学生芸術祭の他劇団の芝居も結構見たけど、こと笑いで言ったら、ウチか劇団THEメンチカツ成が一番だったように思う。どちらも短編組だったけど)。
そして、2010年3月に調子に乗って長編化して謎の大コケをした。それ以降は作風の変化というか、割と現実社会を舞台にした作品が増えていったのと、最初のテトリミノをやったメンバーの2人が出演しなくなったのとで、そのままに。
ただ、何故か知らないけど、「どこが上手い」「どこが画期的」とかは無いのに好きな作品なので、いつか劇団の所属メンバーが4人になったらアガリスクコントの持ちネタとしてやろうという意思を持ち続けていた。
で、今年の1月に沈ゆうこが入って、ようやく揃ったぞ、と。
その後、1月にも3月にも新宿コントレックスを行っているはずだけど今回になったのは、まぁ置いておくとして。
そういう経緯の作品なのである。
さて。で、今回のバージョン。当然イチから作り直すのだけど、一体全体どういう指針で作り直すのか。
ログライン(脚本用語で、一行で言うとどんな話?ってやつ)と言って良いのか?このコントを一言で言うと「テトリスのネクストブロックはこいつらが(私情たっぷりに)決めていた!」になるのかな、と。
あくまで「テトリミノをつくる話」であること。
「ゲームをプレイしているプレイヤーと、次に落とすテトリミノを決めているこいつらの関係、そこに終始する」ということ。
「リーダーを中心とした作業員4人とプレイヤーが、テトリスを通じて会話する」という背骨を決めて、そこを盛り上げるため、またはそこに至る道を作るために登場人物一人一人の属性から来るネタやイベントが存在するべき。
と、最後でいきなり訳わからなくなったかもしれないけど、今日ばっかりはいいのだ。自分の整理のための記事。

アイデアメモ 職員室・生徒規制型コメディ

悪気はないのに、状況が悪い方に転がり続けるせいでどんどん生徒を規制をしなきゃいけないくなってくるという職員室(ないし職員会議)シチュエーションコメディ。
演劇って、基本的に「規制される」「自由を奪われる」側目線の話が多いなぁと思う。
それ自体が悪いことじゃないし、まぁお話なんてのは虐げられる側の武器なのもわかる。ジャンルとして根が反体制ってのもあるのかもしれないし。
そこで、シチュエーションコメディによくある「やりたくないのにせざるを得ない」「何かを強いられる」という形式を使って「規制する側」を描く、ナイゲンとは別サイドの自治の話。
ただ、「先生達だって大変なんだよ」みたいに逆サイドを描いただけでドヤ顏して終わるのは違うので、甘ったるい理論で規制に反対する生徒をdisりつつも憎からず(羨ましく)思ったり、「規制すること」に対しては「くだらねぇ」であり、それを招いてしまうことにアンチを唱えるのかなぁ…。
いやぁ、どういう結論で終わらせるかが難しいな。
生徒の青さを批判しつつ憎からず思っちゃう展開にするとして、だからって先生がラストで、それまで積み重ねた様々な規制を撤回するとかだと甘すぎて死だし。
かといって「生徒のために敵として、反面教師でいよう」みたいな泣いた赤鬼スタイルも安易だしなぁ。
目線が難しいぜ…。

メモ

どうにもならない理不尽な現実に、集団としてどう向き合って行くのか。
戦い方。
飲むのか。抗うのか。
どう飲むのか。どう抗うのか。
そもそもどちらかしかないのか。

新宿コントレックスVol.6をやって新作をかけた

日付的にはおとといになっちゃうのか。
7/13(金)に新宿コントレックスのVol.6をやり、アガリスクは新作『お父さんを下さい』をやった。
ご来場、誠にありがとうございました。
関係者の皆様もありがとうございます。また是非お願いします。
ということで、AC新作『お父さんを下さい』。
あらすじとしては最初に思いついたときのこれの通り、こんな感じの話です。

妻に先立たれ、男手ひとつで娘を育ててきた男は、いつしか自分がゲイだったことに気づき、年下の彼氏と恋に落ちていく。
そしてある日。彼氏は男と娘のもとを訪ね、願い出る。
―――――「お嬢さん、お父さんをください」。

はい。という、異性人に引き続いての性的マイノリティーもの…に見えます。
まぁここから15分間で全く別の展開まで逸脱しまくる話なんですが。
やってみての感想としては、序盤の、まさに上記のあらすじの段階でかなりウケた。もちろん会場が暖まってたってのもあるんだけど。作ってるときに「ここ漫才っぽい楽しげなやりとりにはなってるけど、そんな破壊力ねぇしなー」「冷めなければ良しとしよう」くらいのつもりのところで、結構笑ってもらえたのだ。
その反面、「アホかwww」「これだ!」と思っていた終盤の超展開がハマらずに、というか若干ポカーンとされたまま、見た目とか動きとかのわかりやすいところだけしか笑いがとれずに終わった印象。ここら辺に関しては本番で出演者がトチったって要因もあるが。
いや、全体を均せば成功と言っていいくらいちゃんとウケてはいるんだけど。
変な構造や大掛かりなネタにしなくても、馬鹿馬鹿しい会話をキチンと詰めて、上手いこと繰り返しとかを使って、ちゃんとやればウケる。という会話スタイルのネタの基本を抑えられたのは良かったものの、観客の意識や関心を強引にコントロールするまでには至らなかった。
そしてコントレックス初の純粋な漫才をやったニューヨークさんのネタを見てる限り「練度」って言葉が出てくる。それは一つのネタの練習量って意味でも、そのネタを本番にかけた回数って意味でも。
同じく出演者の後藤さん(コーヒーカップオーケストラ)も、こんなことをつぶやいていた。

週2、3で舞台に立つ芸人さんと半月稽古してネタをあげる演劇コントとじゃあ練度が違うよなぁ、と思う。僕は落語ですが。もっと舞台に立たねば。

同感だ。そもそも、所属メンバーだけでの、そういった本番の機会が欲しくて、コントレックスを始めたんだった。ま、それを忘れたわけじゃないし、順調にコントレックスという場に修行させてもらってるのだけど、それだけで終わっちゃいかんよな、と再認識。
ということで、台本を直すかどうかは未定にしても、このネタは今後もやっていこうと思った。
3人での決定版短編を作るなら、完全に新しい仕組みの物を開発するより、これを磨いていく選択の方が正しい気がしている。
さて、コントレックスも終わり、本公演『ナイゲン』のウェイトが大きくなってくる。まずは出演者とのお試し稽古で、このネタを使おうかな。
喋りで笑いを取るって意味じゃ『ナイゲン』の前哨戦だし、台詞の中に「冨坂文法」が結構あったりと、初めての役者とすり合せるには適していると思うし。
そしてその機会を利用してこのネタへの理解を深めようとも思う。

【映像が】エクストリーム・シチュエーションコメディ【できた】

先日、新宿コントレックスVol.5で上演した、『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)淺越・塩原組』の映像が出来上がったのでYouTubeにアップしました。
エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)淺越・塩原組
撮影・編集を手がけていただいた、シガラキの細居さん、誠にありがとうございます!
このネタは、アガリスクのやってるコントシリーズ「AC~アガリスクコント~」の中でも今のところ一番の傑作だと思うんですが、それ以上に、今までのアガリスクがシチュエーションコメディと向き合ってきた歴史や葛藤、そこに対する一つの回答を22分に圧縮したものだという自負があります。
どうせだから最初から語りましょう。
長いのですが、ご興味ある方はお読みください。無い方は動画だけご覧ください。

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【アイデアメモ】お父さんをください(2)

●一度コントでやる:いかに笑わせるかだよなぁ。会話しか武器はないし、下手なギミックを使いたくない。
●長編化…?:フローリングみたいなとこで、ちゃぶ台1つで出来る芝居。東中野のRAFTとかアトリエ安藤(が実現すれば)とかでやりたいな。
●娘は女子中高生とかにすると、シビアでセンシティブな感じになるかと。
っつーかこれ漫画でイケるんじゃないか説。モーニングあたりで。
そして売れたら映画化されるな。