アイドルユニットにコント書きます

小劇場演劇で役者やってる女性達がアイドル活動を始める、ということで、そのお披露目ライブの賑やかしにコントを書かせてもらうことになりました。
そのアイドル活動ってのがこちら。

アイドル群雄割拠のこの時代に、小劇場から、アイドルユニットが誕生します。

なんでも、小劇場演劇でブイブイ言わせてる人達の才能を結集して歌詞書いたり曲作ったり振付けたりPV撮ったりして、その女優達のプロモーションとして使える、映像や楽曲などの回覧性の高い作品をつくるのが目的とのこと。
まずは一度お披露目の公演をして、それをキックオフに継続的な活動を始めるそうでして、そのお披露目ライブ内でメンバー達が演じるコントの台本を書かせてもらうことに。
メンバーの女優陣は知ってる方がいないのだけど、スタッフ陣がみんな演劇人として面白い人たちなので、そこに加えてもらったのは嬉しくもあり、「コントとはいえ芝居パート書くの俺でいいの?」みたいな感もあり。
谷賢一(DULL-COLORED POP)…!
上野友之(劇団競泳水着)…!
ハセガワアユム(MU)…!
二階堂瞳子(バナナ学園純情乙女組)…!
北尾亘(Baobab)…!
オカヨウヘイ(PLAT-formance)…!
冨坂友(アガリスクエンターテイメント) …ん?
ってな感じで。
正直、どこまで本気でアイドル業界に殴りこむのか、「小劇場演劇の女優・スタッフが結集」という点にどこまで勝算を見出しているのか、等の疑問もありますが、単純に面白そうなのでお手伝いさせていただくことになりました。女性アイドルとコントなんて両方好きだし。
メンバーも他で女優活動をしながらだし、ぶっちゃけ「このアイドルユニットでどうにかなろう」ってわけではなく「全力の遊び」だとは思うんですが(本気だったらスイマセン)、せっかくなので「アイドルと演劇」「アイドルとコント」を突き詰めた作品を書いて、自分なりの「アイドルとはなんなのか」に迫りたいと思います。
おそらく、アイドル達を登場人物にした、お話っぽいコントを書くと思います。
今のところ迷っているのは、アイドル周辺の人間ドラマを演劇(虚構)として再現することに意味があるのか、という点。
「アイドルにまつわる物語を演じる役者」「中身は関係ないけど表現が構造的にアイドル」のどちらにするべきか、うーむ。
非常にややこしい話になるので詳しくは後日書くけど、これは自分が今後劇団を・劇団員をどうやって見せていくかにも関わる、非常に大事な勉強な気がする。
さて、というわけで当該のコントを上演するお披露目ライブ詳細
38mmなぐり~ず お披露目ライブ
2011年12月24日(土)~25日(日)
【会場】新宿シアター・ミラクル
【日時】12/24(土)20:00~
    12/25(日)14:00~/19:00~
【料金】前売/当日:2500円
【発売】12/17(土)12:00~
詳細は こちら

【アイデアメモ】宇宙人×カミングアウト×差別

●宇宙人が地球に訪問、移住をはじめて結構経った世界
●その宇宙人は姿を変える(自分の姿を、自分の好むような形で相手に認識させられる)ことが出来る。
●その能力を警戒した政府は、管理のために、一度の地球滞在中における変身を禁じ、外見・虹彩・声紋・指紋などの登録を義務化。
●また、宇宙人に登録証の携帯を義務付けた。
●破った場合、強制送還。
●人間に好まれる容姿に変身する傾向の宇宙人と、それに対する嫉妬で強まる排斥感情と差別。
●「美男美女は宇宙人」「芸能界は宇宙人ばっか」という偏見が広まる。差別の気運が強まる。
●なんとなく排外的な思想の青年が主人公
●付き合いたての彼女が宇宙人だと知る。
●悩む青年。別れるかどうか。なぜ別れたいと思ってしまうのか。
●結論でないまま「宇宙人だから嫌なんじゃない」「黙っていたのが嫌だった」という理由で振ろうとする。
●「姿を自由に変えられる=じゃあ自分は何を好きになったのかわからない」
●男「作りものじゃない本当のお前ってどれなの?」
●女「じゃあ地球人には本当の自分ってあるの?」
という、「変身出来る宇宙人」を題材に、移民と差別の問題を描きつつ、「外見と内面」「本当の自分」「人は人のどこを愛するのか」を語る日常会話のSF。
ってアレ、今考えてる『異性人』よりこっちの方が面白くね?少なくともまとまってて短編向き。

AC5 エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)終わりました

真面目に書くよ!長いよ!
新宿コントレックスVol.2無事終わりました。
ご来場頂いた皆様、遠くから(Ustとか?)で応援してくれた皆様、誠にありがとうございました。
今回は初めてプロデューサーではなくイチ参加団体の作・演として参加した。ま、実際舞監やってたので、当日の忙しさとか立ち位置はそんなに普段と違わなかったかもしれないけれど、イベントを終えての感覚が全然違う。
今回は、

『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』がウケて良かった。

この一言に尽きる。
見ていなかった人向けに簡単に説明すると、海外ファルス風シチュエーションコメディ(レイ=クーニーとかそういうやつ)を、無理やり二人で上演する、というネタだ。
登場人物が5人必要なネタを、二人が「ヘンリー」「ジョージ」などの役名の書かれた帽子を被ることでローテーションしながら演じ分けていく。
で、途中、演じ分けたり二人で再現するのが無理なときに、素の顔がハミ出したりする、っていう、つまりは「『シチュエーションコメディを二人で上演しなければならなくなった奴ら』というシチュエーションコメディ」である。
アガリスクエンターテイメントの団体紹介に、
シチュエーションコメディへの愛憎を原動力に、その解体や再構築などの研究を行う。
とある。
この、シチュエーションコメディというジャンルを相対化して外から見たり、「無理してやる」っていう部分は、まさにアガリスクエンターテイメントのこのジャンルへのスタンスを象徴しているネタだったと思う。
自分達は、いわゆる嘘ついて誤魔化して勘違いして~のファルス型シチュエーションコメディをやりたくて演劇を始めたのだけど、何年かやってきて、他の新鮮な演劇表現や他の笑いの表現を見るにつけ、もはや素直にこのジャンルに上演することが出来なくなっている。
ベタすぎる、そのわりにシンプルじゃない、上演までの物理的ハードルが多いetc…といった欠点も沢山目に付いてしまう。
だけど、やはりこのジャンルをやってしまう。特に俺は、このファルス型シチュエーションコメディとの距離感、比較で全ての物事を捉えてしまう節がある。演劇見ても、会場見ても、ニュース見ても。
だから、誰よりも疑った目で、シチュエーションコメディの嘘を暴いて、余計な部分を剥ぎ取って、逆に普通やっちゃいけない事をして、いじくり回してこういう作品をやっている。
今回は、セットを省いてパイプ椅子だけを出し、二人で慌ただしく役を取り替えるところで笑わせ、と思いきや役(世界観も)をはみ出て発言するところで笑わせ、と言いつつ中身に書かれた勘違いネタでも笑わせる。
そんな普通じゃない事をしつつも、引いて見ると「~~っていう状況におちいった奴らの奮闘」という、シチュエーションコメディの本質的なものになるといいな、と。
…で。
団体紹介の続きに
しかし結局、誰もが普遍的に笑える「喜劇」を作ろうとする傾向がある。
と銘打っている以上、ウケないといかんわけです。変なことやって「研究だ」と言い張っても、ウケないとそれは「シチューションコメディを批評する演劇」になってしまうので。おれは「シチュエーションコメディを批評するシチュエーションコメディ」がやりたかったので、そこが結局一番のハードルだった。自分たちがやってるコントイベントに出すものだしね。
作り方は、中身の架空のシチュエーションコメディを冨坂が書いて稽古場に持っていき、稽古場で「歌割り」ならぬ「役割り」しながら書きなおして…っていうものだったので、すごく時間がかかった。またしてもギリギリまで台本が代わり続けたし、役者二人はさぞ大変だったと思う(二人で16ページとかの台本を数日でだから、そりゃそうだよなぁ…自分の役だけ追って覚えるとかも出来ないし)。
コントレックス当日のゲネでは冒頭の普通間違えないようなところで台詞飛びまくるし、全体的に何をやるネタなのかわからない仕上がりで、実はものすごい焦ったのだった。
そもそもがお客さんにいろんな情報を覚えてもらわないと成立しないコメディを、一人数役演じるわけで、冒頭からこのネタの大枠、ルールがわからないと本当にわからないし笑えないのだ。
でも本番は、前にやったコーヒーカップオーケストラさんが宣言どおり「いい仕事」してくれたので客席も暖まり、フランクに喋ってから始めたらありがたいことにすげーウケました。
これで、見てくれた方からは今までのような前座団体のイメージは払拭できたのじゃないかと思う。
その後いろいろな感想に目を通すかぎり評判も良く、これはアガリスクの代表短編が一つ出来たな、と少し自信になった。が、おれは当日舞台袖に入ることになってしまい、これのちゃんと出来てるところを目では見ていないんで、また見たい。
※追記
我々よりも演技上手い人は星の数ほどいるし、人を笑わせる地力がある人も数え切れないほどいるし、屁理屈こねたら面白い人も山ほどいる。けど、多分このネタを作れるのはアガリスクだけだし、今のところ淺越塩原しか出来ないはずだぜ、発送と歩んだ道的に。へへへ。

AC 5 二人でシチュエーションコメディ

今作っている演劇作品の話。
今は、アガリスクエンターテイメントが隔月くらいで開催している劇団合同コントライブ「新宿コントレックス」に出品するアガリスクの出し物を作っている。「AC~アガリスクコント~5」。
その中身は「二人でシチュエーションコメディをやる」というもの。
シチュエーションコメディって「一つの場所を舞台にした、登場人物の真面目な言動が、状況によっておかしく見える喜劇」とかいわれているのだけど、このジャンル、色々と制約が多いのだ。一般的には、一つの場所をあらわすために具象のセットをリアルに作りこむし、登場人物は一人一役で、その人物っぽい衣装を着て演じる。
ただアガリスクは、実際問題具象のセット建てるのキツいし、どこでも出来る表現じゃない、っていうのがマイナスだと思っているので『みんなのへや』っていう作品をギャラリーでやった(詳しくはその作品の「自作自演対談」を読んでください)。
これは「セットがなくてもシチュエーションコメディができるじゃん!」とか「そのぶん逆にスピーディ」とか褒められたりもして、その後のアガリスク作品は2公演とも簡素なセットでやっているのだけど、実は自分は、『みんなのへや』程度の省略はまだヌルい、と思っていまして。
セットを「建て」てはいないけど地面に線引いて「台所」とか「トイレ」とか書いてるし、そもそもセットがなくてもあの公演ってメンバー沢山集めて衣装も小道具も揃えなきゃ出来ないじゃないか、と。それって結局ポータブルにはなってないのでないか、と。
ということで、もう床に線引いたりもしないで、衣装も無しで、役者二人だけで、5,6人が出てきて嘘ついて勘違いしてゴチャゴチャするシチュエーションコメディ(ファルス型シチュエーションコメディ)をやります。20分くらいで。
自分は、このコメディは別にセットも必要ではないと思うし、衣装も必要ではないと思うし、役者もそんなに沢山いらない、と考えています。「ルール」と「人」がいりゃ出来るはず。
なので、ここは一つ、アガリスク旗揚げ以来…ということは演劇はじめて以来ずっと取り組んできた「シチュエーションコメディ」という表現をとことんまで裸にして、大事なモノを、本当に必要な要素を晒してやろうと思います。
っていうか、シチュエーションコメディが「登場人物の真面目な言動が、状況によっておかしく見える喜劇」というのなら、「ただでさえややこしい複数人用の喜劇を、二人でやらなきゃいけないヤツら」は、それ自体がシチュエーションコメディなんじゃないだろうか。
ということでお知らせです。
アガリスクエンターテイメント AC~アガリスクコント~5 『二人シチュエーションコメディ(仮)』を出品する公演
新宿コントレックスVol.2
[日時]2011/11/16(水) 19:00開場 19:30開演
[会場]新宿シアター・ミラクル
[料金]予約1,000円 当日1,500円
[出場]アガリスクエンターテイメント
   コーヒーカップオーケストラ
   ハーリ・クィン
   ヨコスカトイポップ
   (50音順)
[予約]ご予約は こちら から!

『ファミコン』リライトについて

『ファミリーコンフューザー/無縁バター』の稽古漬けの日々である。
正確に言うと、無縁バターの方は今から本番の出演者の関係で、早めに通し稽古まで終えてほぼ完成にし、今はファミコンの稽古ばっかりやっている。
そして稽古しながら、かなり難産だった台本を何度も何度もリライトしている。
同じような要素を入れつつ順番を変えてみたり、それでスッキリして空いた部分に、書ききれなかった部分をそっと差し込んでみたり。
もともと『ファミリーコンフューザー』は、90分120分がふさわしいくらい巨大なテーマと、複数の視点と、並行して走る複数の物語がある作品なので、50分に収めるためには、どう並べ替えても「こっちが入りきらない」「こっちが薄くなる」などとパズルに頭を悩ませることになる。
そもそも一幕もののファルス型シチュエーションコメディ(嘘ついて誤魔化して勘違いして伏線ドーンっていうやつ)は、ただでさえ「パズル」とかいわれてるんだけど、今まで自分が書いた伏線ごちゃごちゃ系なんて目じゃないくらいに、考えなきゃいけない要素・可能性が多い。それだけ、やりようによって幅が広がるってことなんですが。
で、まぁ面倒くさくてしかも俺理論みたいなの書いてもしょうがないんで本題。
   50分の中編作品を書くようになってよかった、と思っている。
ある程度ちゃんと物語りもテーマも語れる尺で、かつ勢いじゃ押し切れない尺で、でもやっぱりガッシリやると結構短い尺。
昨年の『みんなのへや/無縁バター』でこれをやりはじめたけど、演劇の尺における1分1秒の価値について、以前より非常に敏感になったと思う。
2時間超の他人の作品観て、「この尺でまだこれしか進んでないのかー」とか「もっと必要な情報をタイトにまとめられるだろー」とか思うこともしばしば。
なんて書くとアレだな、自分に跳ね返ってくる言葉だな、と思ったけど、自分へのハードルとして書きました。
脚本って、要素を詰め込めばいいってモンじゃないし、情報量も圧縮すりゃいいってモンじゃない、とは思う。最近思ってきている。けど、自分はやっぱり「笑えて」「グッときて」「テーマの一部を担う」を一発で適えるような一石何鳥の機能的なシーンに憧れるし、自分の脚本をそういう「ウマイこと言った」で埋め尽くしたいと思う。
やはり、50分二本立てをやりはじめ、その時間的制約によって、一石何鳥を強いられることが多くなったので、このスキルは伸びているし伸ばさせられている。と感じている。
そんなことを考えて、初稿で関係者や自分がグッときたポイントを、いかに喜劇の台本として機能的に出来るかを気にしながら、リライトにいそしんでおります。つってももう、何度かやったリライトも大詰めだな。あとは稽古場のみでの勝負にしたい。
そんなこんなで、「マジで?この内容とこの要素を50分で?しかも基本ずっと笑わせながら?」と言われようとしている作品『ファミリーコンフューザー/無縁バター』の詳細はこちら。ご予約はこちらから。
どうぞよろしくおねがいします。

ファミリーコンフューザー 脱稿

昨日か?一昨日か?ファミリーコンフューザーの台本をあげた。
かなり遅れまして、関係者各位に本当にすいません。
ご予約や迷ってるお客様でそれを知ってた方、ご心配おかけしました。
やっとこさケツまでいったぜ。ホントに長かった&きつかったー。
ただ、今回は書き上げるまでに相当悩んで、前夜に奇跡の演出まで思いついたので、ここから直すにしてもかなり道筋の見えている感じです。
“認知症×シチュエーションコメディ”
ということで、「笑えない設定」を「笑える展開」で語る本作『ファミリーコンフューザー』ですが、その分はかなりいいセンで叶えているのではないかと。
また今回は、台本の構造に拘った、凝ってみた、とかじゃなく、演出のプラン込みでの台本の熟考が実を結んだ感じなので、演出面で物語を強固に立ち上げていく感じです。
一般的にはシチュエーションコメディでやらない演出方法を使うことで、相当の情報量を50分に詰め込み、多層的な物語を同時に流し、生身の肉体で実演しないと出来ない表現にもなっているんじゃないかと。
(詳しくはアガリスクRADIO企画モリエンテスラジオのこの回。の2本目の音声を参照。)
なので、ホントに是非観に来てください。
同じ「シチュエーションコメディ上の実験」って意味でも斬新さと大胆さでは『みんなのへや』の比じゃないし、同じ中編だけど、番外公演の色なんて一切無い、本気で全速力の球を投げに行ってます。
現代日本のシチュエーションコメディの、最高峰かどうかは知らん。が、最前線はまさにここにあるぜ、誇張じゃなく。
ご予約は こちら から
詳細は こちら から
よろしくおねがいします。

無縁バターのリライトであれこれ

ぼんやり書くぜ!
やるかどうか悩んでることなのに、具体的に明かさないのにわざわざ書く、という、バラエティ番組のピー音型・自己満足エントリだよー。
とりあえず無縁バターの再演でやりたいことは、「“孤独死を恐れる若者”(なんかNHK無縁社会みて騒いでた人いるらしいぜー)に共感できない」という立ち位置から語る、ということ。
自分もNHKスペシャル無縁社会で興味を持った(強めた)クチだったけど、それを自身の身に置き換えて恐怖はしてなかったので。あきらかに平均的な若者より孤独死まっしぐら☆な人生設計してるんだけど。
そして、『無縁バター』劇中で既に死んでいた男・「戸田」について、彼の物語を追おうと思えば追える、見出そうと思えば見出せるレベルで走らせておく、ということ。
ただのビックリ箱的エンディングだと思われるのも本意ではないので、あくまでくだらないシーンの連続でありつつ、自分の意見を「シーンで」台詞ではなく「シーンで」語りたい。
ということでの「エフェクト」「鼻歌」「焼きそば」かなぁ…。