『みんなのへや・改』終演しました〜そして『わが家』へ〜

だいぶご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ありません。

番外公演としてやっていた冨坂企画の『みんなのへや・改』が無事終了しました。
ご来場下さった皆様、関係者の皆様、誠にありがとうございました。

この企画、当初は夏と秋に予定していた外部の公演が流れたことにより「じゃあ自分で劇団メンバー以外との公演打っちゃえ!」と始めたものだったのですが、とはいえ演劇公演ってなかなか「ただの仕事」としてだけでは打てないものでして。色々カロリーがいるしね。

今年の夏・秋は劇団の長編公演を打たないで色々準備したり修行するシーズンだったので、演出家修行としてやることにしました。
6月や9月に講師をしたワークショップや、feblaboナイゲンでの皆へのアドバイスに続く、「ウケるためのあの手この手を伝える演出言語を獲得しよう」という修行。

月並みな表現だけど、とても勉強になったし、引き続き「デフォルメする」「絵のタッチというかペン先を鉛筆やボールペンからマジックペン級に太くする」という演技論に関心が出てきた。
登場人物としての心情とか反射で動く肉体みたいなのをキープしたまま、いかにフィクション値を高くできるか。
これがコメディに振り切る為には大事な気がするし、それができると演技の「腕力」みたいなのが上がる気がするんだよな。


さて、今回のメンバーのことを少し書きます。

江益凛…ストーカー役
この中で唯一の一度演出したことがある俳優。
アクティブで熱血漢で、端的にいうと「気合が入ってる」演劇人で、あとはもちろん笑顔が可愛いので、ナイゲンの3148とは違ってガンガン動いてニヤニヤ企む役をやった方がいいよなぁと思ってストーカー役をお願いした。
大人数でごちゃごちゃ喋るときの台詞の間とかニュアンスは苦戦していたけど、それを補って余りある作品冒頭のやりきり感に拍手。
初演でも結構長いこと一人で部屋をウロウロしてもらったのだけど、今回さらにその部分が膨らみました。

野村亮太(やまだのむら)…優也役
feblaboのナイゲン(2018年版)で知り合って、色々話をしてた(けど演出はしてない)俳優。今回は「思いっきり笑いを取ることに注力しようぜ」と思ってご一緒することに。
器用で引き出しが多いというか、基本的に上手い。あと誰かを好いてるより好かれてる方が似合うってことで、作中で想いを寄せられまくる男・優也に。
ついつい自然な反応をしすぎちゃうので「ファルス型シチュエーションコメディの嘘」の部分に苦戦してたけど、意図を伝えれば大体すぐ対応できたのがすごい。
物事を積極的に進めてくれるので、一家に一台というか、一現場に一人いると作品がグインといい感じになる。

石井智子…杏子役
実はスケジュールの関係で出演者募集のWSには来られなかったのだけど「とりあえず出たい気持ちだけは伝える!」という熱い連絡をくれまして。迷ったけど、別作品の映像などを見て「この作品にはこういう明るく楽しく女子感のある人が必要では…?」と思って出てもらった。
相手との自然なやりとりとか手触りみたいなものを重んじる人で、ウケるための段取りや、生理を無視した同時多発気味の会話には苦戦していたみたいだけど、絶対やらなそうな人だからこそ振り回されるのが面白い。
「…ゆっくりしよ?」「理由とかよくない?」の小悪魔感のデフォルメ具合が絶妙。絶妙にリアルで、絶妙にバカっぽい。素敵。
初演からセリフあんまり変わってない割に、一番キャラクターが変わった役になった。

坂内陽向…沼田役
ワークショップでは、笑いを取りたいところで色々仕掛けてて、でも絶妙にそれが空回ってて、その感じが逆に面白くて「おっ」と思って、長いこと一緒に稽古するとその感じすら使えそう、と思って出てもらった。
正直、このメンツの中だと決して器用なタイプではないし、謎の力みによっておかしなリアクションになったりと苦戦しまくっていたけど、その「信じ切っちゃう」「全部betしちゃう」演技は観客に嫌われないタイプだと思う。

平田純也…賢一役
年齢的には座組で最年少だったけど、若い頃からやっててキャリアもあるし、あとこういうコメディ的な処理がとても器用な人。ワークショップで一度見ただけで「できるやつだぞ」というのはわかったけど、いざご一緒して見たら演技以外も大変気が利いて大人な、出来た人だった。
具体的な指示ってよりも「こういう要素が欲しい」ってオーダーすると上手いこと色々改善してくれる役者で、ちょっと前に自分演出で一人芝居やったって聞いて納得したけど、演出的な、客観視が出来ている人だなぁと。
たまに演出家みたいな目線で「おい自分の役忘れてるやろ」になるのが面白い(いや、ダメなんだけど笑)

渋谷裕輝…泥棒役
ワークショップに何回か来てくれて、真っ先に「あっこの人うまい」と「最近よく目にするお笑い芸人の誰かに似てる…!」の二つの感想を覚えた。
なんというんだろう、パッとできる器用さと共に「やらなさ」というか「恥の概念」をすごく強く持ってる人で、そこが信用できる。
だからこそ、つまみを思いっきり捻って、ここぞというところでエネルギーを放出すると面白い。
見た目も物腰もめちゃくちゃ落ち着いているんだけど、YouTuberが大好きなところに「あぁ若者だったんだ…」と思い出させられて落ち着く。

中田由布…大家役
役割のレベルで、初演と最も大きく変わったのは、この「大家」という役だと思います。ちょい役だったところから、このお話を最後に締めくくるオチを担う役になった。
最初は「一人だけちょい役って脚本として上手くないよなぁ」「“みんな”の部屋じゃないもんなぁ」という作家的な思惑からだったんですが。中田さんの最後の笑顔の威力(可愛らしさだけじゃなくて、キレの良さというか、なんだろう、威力としか表現できないんだよな)で「これは…!」と決まった。
ふんわり穏やかなようでいて、共演者が悩んだ時にもマジで頼りになる先輩でした。


愉快なメンツで、ただのコメディを、時間かけてつくる。
という贅沢なことをさせてもらったので、自劇団での巨大な山脈みたいな作品作りに戻ります。

各メンバーの作品振り返りは こちら で、
冨坂の作品振り返りは こちら で喋っています。

ご興味あればどうぞ。

『みんなのへや・改』稽古終了

稽古が全日程終了。

昼から細かく詰めて、その後、ちょっと前から決まっていた衣装などなどを全部揃えて通し稽古。

今回の作品は物語を演じるってよりも、スポーツとか早い音ゲーみたいな感じなので、ノーミスで乗りこなすのが結構難しいのですが、今日の通しはちょっと雑だった感も。

ただ、やっぱ衣装つけてフルでやると「らしさ」が全然違う。
それは見る側だけじゃなくて演る側も何だろうな。
スポーツとしてのパフォーマンスはそうでもなくても「実在感」が違う。「そいつら」がいた感じ。

今回はCHARA DE asagaya合わせで演るしかない部分が沢山ある舞台の使い方・演出プランなので、明日の場当たりが腕の見せ所であり、楽しみであり。

17(水)から始まります。
ぜひぜひご来場ください。


『みんなのへや・改』

【日程】

2018年10月17日(水)〜21日(日)

10月17日(水)19:30
10月18日(木)19:30
10月19日(金)14:30/19:30
10月20日(土)13:00/18:00
10月21日(日)13:00/18:00

開場・受付開始は開演の30分前です

【会場】

CHARA DE 阿佐ヶ谷

JR中央線「阿佐ヶ谷」駅徒歩5分(高架下の阿佐ヶ谷アニメストリート内です)
〒166-0004 東京都杉並区阿佐谷南2丁目40−1

【料金】

一般料金:3,000円
前半料金:2,800円…(前)のマークの回
高校生料金:1,000円…高校生以下のお客様。要生徒手帳提示。

【チケット発売】

2018年9月16日(日)AM10:00〜
ご予約はこちら

WEBアニメ企画(仮)2回目収録

今日はWEBアニメ企画(仮)の2回目の収録へ。

レギュラーで書いてる、コントなWEBアニメの収録の仕事。これは書くだけじゃなくて、もう一人の作家さんが書いた奴の演出もやらせてもらってて、劇団メンバーも鹿島・津和野・ジャンプさんが参加してる劇団ぐるみの仕事。
なので作家仕事ってよりも、以前やってた『その時歴史がウゴイタ?』を大人になった我らがちゃんとやらしてもらってるみたいな企画。

毎回複数本録りなのだけど、初回はその中にアフレコ(絵が先)があり、絵に合わせて喋る(しかも結構ハイペースな屁理屈コント)のに苦戦して時間がかかってしまった。
2回目は全部プレスコ(声が先)なので「まぁネタだけやればいけるから早いっしょ」とタカをくくっていたら、思いの外時間がかかってしまった。時間に余裕があるとネタとして細部をこだわってしまう。。。
先日のコントレックスツアーのネタ『切ない恋』でも思ったけど、鹿島さんとか津和野くんは話がはやい。あと一緒にやってる声優さんが全く別の技術体系を持ってて、収録のたびに見るのが面白い。

収録後にご飯を食べに行ってたら、狂気の新ネタを思いついて盛り上がった。
『エクストリーム・シチュエーションコメディ(カロリー)』。
どこでやるんだ。

『みんなのへや・改』クライマックスの稽古

今日は『みんなのへや・改』のみの日。

本番でお披露目する美術案を実験してみたら、思いのほかいい感じになった。
金はかかってないけど、これは勝てる美術な気がする。
あとはチャラでの天井との相談だ。

そして終盤の15分くらいグワーッと走るクライマックスをひたすら稽古。
楽しいんだけど、全力疾走のまま15分くらい行くから、やかましくならないように気をつけなければ。
多分、ベクトルの矢印が整理されていれば、長いこと高い熱量で会話し続けても、五月蝿く聞こえないのだと思う。
整理すること、そしてウケること、だよな。当たり前なんだけど。

感覚をつかむために『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』のドンとブレンダの勘違いネタをやってみるなど。
そう、勘違いネタは、ナマクラなデッカい剣を振るんだよ。

次回は通し稽古だ。
シチュエーションコメディは「覚えてしりとり」なので、順にやって情報を重ねていかないとわからないことが多い。

そして帰ってから電話で打ち合わせ。
明日は例の楽しみなアニメ企画。
コントの声の収録の演出だ。馴染みのメンバーだけど、8本のコントを録りまくるスタミナ勝負。

路上演劇祭2

朝から路上演劇祭2

徹夜なのか寝落ちなのかよくわかんないままダラダラと朝を迎えて路上演劇祭の会場へ。
ま、路上だからいいんだけど、贅沢いったらバチ当たるんだけど、会場が思いのほか奥にスコーンと抜けた広ーい空き地で、そわそわしながら準備。

とはいえ、事前に聞いていた前日比よりもかなり沢山のお客様が11:30から来てくれていて嬉しかった。
最初「あれ、これトップバッターでラッキーだったのでは?」とも思ったけど、最後まで順調にずっと多くの方にお越し頂いていた模様。感謝ですね。

『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』は、最初こそ声の通らなさで「頑張ってる感」が見え隠れしたけど、作品の性質上「ミスというネタ」があったり、さらには「ミスというネタの皮を被ったリアルミス」のハプニング的な笑いを皮切りに、ちゃんとウケてよかった。
この作品は中身か外側かどっちかは引っかかるから安心だ。
淺越×榎並ペアはタイプが違い過ぎるから結構よかったのでは。なんだろうな、絶妙なヘッポコ感(っていうほど出来ない二人じゃないんだけど、可愛げというか抜け感がある二人組。これとても大事だと思う。)
風の強さに帽子が飛ばされて無くなってしまうのを懸念してたけど、それは起こらなかったけど、なんと帽子の名札のみ飛んでいくというハプニング。
しかもそれが例の「照明」って役になった直後だったので、シンプルにそのネタが一つ潰れて残念。

カンパというかおひねり?も思いの外沢山入れて頂いて、ありがたかったです。

その後は「カレー演劇論」研究家の淺越教授と榎並助手として司会進行。
だけど流れはぶっつけだし、打ち合わせもしてないので、空気を読んでやるしかない。
さらには「今やった演目がいかにカレー的か論評する」という小芝居を挟む仕様にしてしまったので、毎回、前の団体が上演している間に、演目をカレーにこじつける大喜利的なミッションが発生。めちゃくちゃ大変だった。

上記のように放送作家的なこともしつつ、MCにキュー出したりとタイムキープもしてたので、アガリスクの演目終わってからも超バタバタした半日だった。カレーフェスティバルなのにカレーを食べる時間(テイクアウトする時間も)ないっていう笑

でも、乗り打ちで複数劇団オムニバスのコントライブ「新宿コントレックス」をやっていた経験に助けられたなぁというのを実感。
これは演目の上でも進行の上でも。
野良に強いって格好いいと思うので。だからもっと強くなりたいですな。
まぁ普通の演劇も上手くなりたいけども。

途中抜けして『みんなのへや・改』稽古へ。
16時に慌てて向かったら、稽古場を18時からしかとっていなかったという最悪の凡ミス。みんなごめんなさい。

今日も「ネタをネタとしてやる」の稽古。
うーん、何か違う策を試すなり、ブレイクスルーをしたいところだ。

10/7、いろんな稽古佳境

台本を直して、『みんなのへや・改』稽古からの路上演劇祭(エクストリーム・シチュエーションコメディなど)稽古。

『みんなのへや・改』では中盤から終盤の勘違いネタの部分。引き続き。
自然と相手役とやりとりするのと違うレイヤー・チャンネルで観客に「ここだよー!」とアピールしなければいけない。

本番中の観客からの「面白い人認定」の話をした。
ところどころでここを積み上げていかないと。ここを「今はいいか」と諦めたら、「この人は笑い担当じゃないのね」と見られてしまう。
みたいな話。
稽古してたら「このネタもっと引っ張ったらまだいけそう」と思ってネタが伸びた。多分これは面白いネタ。

エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)はだいぶいい感じ。
ただ、いかんせん明日は路上だもんな。アウェーで、しかも空気の散る、路上。複雑なことを伝えるのは難しいのかもしれないので、演る側の腕力が問われるよなぁ。

MCも設定を噛ませたら結構大変そう。
明日は早いし結構大変な本番だから、すぐにでも寝たいんだけど、色々終わらない。。。

勘違いネタの勘どころ

怒濤の12時間稽古ラッシュが終わり、夕方からの『みんなのへや・改』稽古。

台本の修正も全部済ませてしまいたかったけど、劇団の作業が終わらず、どちらも半端になってしまって反省。

前回稽古で修正しまくってわけがわからなくなった台本(↓)を打ち直して刷り直したけれども、そこよりも前に。

あまり触れていなかった中盤〜終盤の「勘違いネタ」の部分。
やってみると、なんだかどうにも「ネタっぽくない」。

おそらく、トーンとかテンションとかが統一されていないのが原因か。そりゃ勿論登場人物の認識がズレてるわけだから、各キャラのテンションは違うんだけど、テンションは違いつつも、なんだろう?デフォルメ具合?画のタッチ?そういうのが揃っていないといけないんだろうな。

そこから、具体的に「こう言って」「このくらい空けて」という即物的な指示をせずに、どのくらい勘違いネタの「あの感じ」に到達できるか、言葉を尽くす。解釈とネタの機能の説明で到達したいもんなぁ。
「あなたがこのシチュエーションコメディ番組の編集マンだったら、どこにラフトラックを入れますか?」と訊いて、笑いを取るべきポイントを点で定めていく。

色々やったらだいぶそれっぽくなってきた。
いい感じになってきたので、その流れで次のシーンの変更予定の箇所を稽古しながら口立てで作っていく。そしたらだいぶ機能的なネタができた。

そこから遡って色々な段取りを決めていく。
やっぱこの芝居は実寸で色々やらないと何も始まらないな。

稽古は充実しているんだけど、なんかワークショップっぽいのが気になる。
俺が教える場みたいになると違うんだよなぁ。
俺は演出だし、みんなとは初めましてだし、初演の実績がある作品だけど、ちゃんと開発して、世界に向けて「これが今の世にわざわざ集まって作った俺たちのネタだ!」というものでないとな。


アガリスクエンターテイメント番外公演
『みんなのへや・改』

2018年10月17日(水)〜21日(日)@CHARA DE 阿佐ヶ谷

詳細は こちら

ご予約は こちら

終日稽古

12時間のぶっつけ演劇稽古。

まずは10/8(月・祝)に下北沢でやる路上演劇祭の『エクストリーム・シチュエーションコメディ(ペア)』練習。
後半の勘違いネタを詰めて、通し稽古。
一通りやったところで、榎並夕起がドン(作中の怖い人、マフィアの首領みたいな)パートをやるときのなんとも言えない面白さがツボにハマった。多分これ一般的じゃない。珍味なやつ。

彼女は声が幼いというか、良くも悪くもかわいらしすぎる特徴がある。
アニメ声とかとは全然違うんだよな、なんだ、アイドル的な感じ?
それがエクストリームとはいえドンをやるときのミスマッチ感、ダサさ、ヤバ(い演劇)さ、そういったものが面白くなってしまった。
なんていうの?高校のクラス演劇で女子高生がいかつい男役をやるときの似合ってなさ、愛おしさに通じるやつ。
まぁ本人は大人っぽい役をやる上で中々悩んでそうだし、これから直面するんだろうけど。
でも声質は楽器としての種類だからなぁ。前田とか淺越とかジャンプさんも特徴的な声しててある意味タイプが限られているわけで。
この「女性が無理して男性役をやるときのヤバみ」には、コントとして何かの鉱脈を感じている。いつかやってみようと思う。

話が逸れた。
やってみた結果、現在の配役(この演目は役が入れ替わりまくるからなんていっていいかわからないんだけど、まぁパート割り)だと、榎並ドンと淺越ブレンダの男女の逆転っぷりが引っかかりすぎて、お話の中身・勘違いの情報の部分が伝わらないんじゃないか?という懸念。
今更だけど部分部分のパート割りを変えようか、と思い始めるそうすると結構な部分が覚え直しになるんですけど。
で、変えてやってみたら、また別の意味で情報を取り落とす気がしてきたから元に戻す。

そして時間になったので本日分終了。

そこから『みんなのへや・改』稽古へ。
冒頭と中盤の、音楽を流す通称「PV」シーンをいかにプロモーションビデオ(ドラマから入るプロモーションビデオってあるじゃないですか)っぽくするか、人物を演じる→ポエムにいかに移行するかを検証。

やっと全キャストが集合したので、ちょこちょこ立ち稽古していたところを頭からさらってみる。

結果、何が何やらさっぱりわからない。
今回の方針として、「シチュエーションコメディあるある」みたいな予定調和さを排して、わりかしリアリティを高めに進行してたんだけど、そうもいかない部分が多い。
リアルな人間としての言動や間のノイズが、積み重なると本当にわけわからなくなる。
読み合わせくらいの俯瞰した、冷静な、淡々と進めていくスタイルに戻らなくてはいけないかもしれない。

せっかく変えた部分がどんどん初演に戻って行きそうな恐れ。
これ、たまにあるんだよな、再演モノで。
ただ、徒労ではないと思う。

でも12時間同じ部屋で入れ替わり立ち替わり稽古は超疲れた。疲労。

『みんなのへや・改』稽古4回目

稽古4回目。

本日から石井智子さんと中田由布さんが参加。
作品について決まってることや演出の方針、あれやこれを説明し、まずはアップがわりに『お父さんをください』でそれぞれのタイプを見る。

今回、女性陣3人…石井智子、江益凛、中田由布のタイプがいい感じにバラバラで楽しい。ま、そりゃ大体バラバラにはなるんだけど。劇団でもそうだし。

そして『みんなのへや』の書き直した前半を立って動いてみる。
この作品、立って、動いて、間取りを意識して練習しないとマジでちんぷん&かんぷんですね。

石井智子さんの演じる小悪魔っぷりが、絶妙にバカみたいな(褒め言葉)小悪魔で、すごく好感を持った。
嘘すぎず、マジすぎす、素直に可愛い部分もあるけど、ギリ「滑稽」のラインに乗ってるのが良い。あとはまだあんまりやってない困らされるところと勘違いしてるところが決まれば大体大丈夫だろうな。

中田由布さんは、あんまり舞台となる部屋には常駐しない、けどキーマン。
年齢不詳感やキャラクターっぽい話し方動き方が(こういう言い方するとあれだけど)とても使えそう。順で使ったり逆で使ったり。

稽古後は最寄りのタイ?ベトナム?料理店で食事。
よく知らないメニューを頼んだら、俺以外全員苦手な盛り合わせが出てきたり、「これ絶対食べるものじゃないでしょ」な具材が入っていたり、その名前がガランガルと言ってモンハンに出てくる固い甲羅を持つモンスターみたいだったりした。モンハンはやったことない。

明日は序盤からバリバリ立ってやっていく。一日稽古だ。

それと同時に『わが家の最終的解決』のプロデュースワークが山積み。
でも京大吉田寮をモデルにした渡辺あやのドラマ『ワンダーウォール』もレンタルしたので配信で見たい。どうしよう。わわわ。

演劇とドラマと感情移入と「近さ」

昨晩は寝落ちしてしまったので今書く。

昨日、箱庭円舞曲『父が燃えない』を観てきた。
今まで見てなかったってのもあるし、こないだご一緒したアナログスイッチの秋本くんが出ているってのもあるし、どうやら活動休止前公演だぞってのもあるけど、それより何より、親の葬儀の火葬場での話だと聞いたからだ。

というモチベーションで観た以上、どうしたって感想は「感情移入」という視点にならざるを得ない。
こないだのエントリで、「母親が亡くなった」「だけどどうにもピンときてない」って書いたので、それとの絡みです。)

噂に聞いていた通り、リアリティのある、でもちゃんと可笑しい、とても良くできた「落ち着いたコメディ」だと思った。
楽しかったのだ。
「演じ分けることでその場にいない人物を描写する・代弁する」っていう表現手法が、「故人の思い出を語り合う」っていう場とシンクロしていたのが興味深かった。
そして、何度も使われていたその手法が、最後の「故人が(その場にいない)子供たちの話をする」に集約されていくのがとてもドラマチックで、必殺技感があって、素敵だった。(余談だけど、俺はこういうクライマックスでちゃんとアガる必殺技がある作品が好きだと最近気づいた)

しかし「自分ごと」として感情移入して観ることはできなかった。

もちろん、感情移入こそが全てだとは思わない。その有無で作品の評価を決めるべきでないってのは同意なんだけど。
でも、今年親を亡くして、でもあんまり現実世界で悲しんだり落ち込んだりできていない人間が、親の葬儀のお芝居を生で観るわけですよ?
そりゃあ感情移入を求めちゃうでしょうよ。

作品として面白かったのは事実。
でも、「あぁ、そういう地方のそういう家庭もあるのね」という、普段通りの家族モノのお芝居を観るモードにしかならなかったのだ。
面白かったのに、感動はしなかったのだ。

それに比べて(比べるべきかどうかは置いといて)、最近見たドラマ『義母と娘のブルース』の第6話や、『アンナチュラル』の各話では、しっかり感動している。それも登場人物に感情移入する形で感動していたのだ。

この差はなんなんだろう?

当然気になる。なぜなら、現状自分がTVドラマの畑の人間じゃなくて、演劇屋の端くれだから。(TVドラマのお仕事もしたいです、はい)

よく、群像劇の芝居を評して「たくさんの登場人物がいるから、どこかに自分を投影できる」と言うことがある。
今回の芝居で言うなら、故人の子どもで男・女・男の兄弟の三番目、秋本雄基演じる前沢望って人物なんか、感情移入し放題に思える。
兄弟の構成もそうだし、家を出て売れない芸術活動に勤しんでるし、めちゃ似てるんだよな、境遇が。しかも知り合いが演じているってこともあるから、当然目がいく。
なのに、彼に感情移入することはなかった。
でもそれは秋本くんのパフォーマンスに問題があったとは思わない。彼はとてもいい仕事をしていたと思う。

では作中の他の人物に没入したかと言うと、そうでもない。
作品自体は楽しんだというのに。

それよりも『義母と娘のブルース』の宮本みゆき(横溝菜帆)や宮本亜希子(綾瀬はるか)、『アンナチュラル』の久部六郎(窪田正孝)や三澄ミコト(石原さとみ)、中堂系(井浦新)の方にバリバリに感情移入して感動してしまった。

この差はなんなんだろう。

俳優の演技の差とか、そういうことじゃないと思うんだよな。
もっと根本の、物語とか、見せ方とか、表現の媒体とか、そういった部分での差。しかもそれは優劣じゃなく好みとか波長に合うとか帯域とかその手のものな気はしてる。

近いと入り込めない説

小劇場の演劇公演/TVでの映像作品
知り合いが演じてる/会ったことない芸能人が演じてる
火葬場の待合室での会話劇(身近で小さい規模)/何事もビジネス目線で処理する鉄壁のキャリアウーマンが義母になる話
火葬場の待合室での会話劇(身近で小さい規模)/不自然死を究明する法医学ミステリー

ドラクエとファイナルファンタジーの違いみたいに、固有のキャラクターとして描きこまれすぎてると自分を投影しづらい、みたいなことなんだろうか。
でもそれで言ったら『父が燃えない』に限らず『義母と〜』も『アンナチュラル』も描きこまれてるわけで。

フィクション度が高いエンターテイメント作品の方が自分を投影しやすいからだろうか。
でもそれで言ったら演劇で「虚構!」って感じの作品あんまり好きじゃないし。

演劇よりTVドラマの方が自己を投影しやすいからだろうか。
うーん…それを認めてしまって良いのだろうか、演劇屋として…!

ちょっとこれは今後も考えていかなくてはいけない気がしてきた。

ちなみに「笑える」って観点で言えば、お笑いだろうとお芝居だろうと圧倒的に生の舞台の方が笑えるんだよな。それは確か。